思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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病名の存在論的差異

[コンスタティブな病名とパフォーマティヴな病名]

僕はこれまで、病名について、モノとコトという言葉を用いて、医療者にとっての病名と、患者にとっての病名を峻別してきた。(※1)

病名を付与されることで救われることも多々あることは承知している。したがって本稿は大きな誤解を生じやすい。ここでいう病名とは健康長寿とは対立する概念、端的に言えば慢性疾患、人が年を経るごとに一般的に起こりうる身体不条理、具体的には認知症だとか、高血圧症だとか、糖尿病だとか、そういった慢性に経過して行く正常と異常との境目があいまいな疾患における病名だとお考えいただきたい。

いわゆるモノ的な病名というのは事物的な思考プロセスの中で存在しており、単に辞書的な意味でのテクストとしての存在であり、モノ的な病名という現象そのものが実体としてあるわけではない。端的に言えば診断基準などといった同一性により規定された概念に過ぎない。一方でコト的な病名とは、実際の現象である。痛い、苦しい、などに代表されるような自身で知覚しうる現象そのものを含んでおり、病名が付与されようがされまいが、現象として確かに知覚される以上、その存在は疑えないものである。

僕たちはこれまで、病名について、モノ的、コト的という言葉を用いて、病名が人間に与えうる影響を考察してきた。本稿ではさらにこの2つを明確に区分するために、やや抽象的な概念であっつたモノ的、コト的という言葉をあらため、コンスタティブパフォーマティヴという概念を導入しよう。(※2)

病名を医療者が患者に付与する際、医療者にとってはある意味で、概念の事実を陳述することに他ならない。ある景色を見て、「あそこに牛がいる」というような陳述は、医療者にとっての病名付与、すなわち「あなたは認知症です」と同じ構造であると僕は考える。この場合、「牛」も「認知症」も、実在物であろうが、なかろうが、客観的立場の人間が、現象を一定の同一性に基づき、述べているに過ぎない。「牛」であれば、4本足で、体の色は白くて、・・・と言うような牛の特徴(牛という動物の同一性)を捉え、その事実を単に言語化したものであり、認知症も、認知機能スコアやCT画像などの所見(認知症を診断するに当たり必要な同一性)を言語化したものだ。

このような医療者にとっての病名をJ.Lオースティンにならいコンスタティブな病名(事実確認的病名)と呼ぶことにする。一方、病名を宣告された、当の患者は、その時点からまさに自分の事として病名と向き合うことになる。症状が進行しないために明日から何をすべきなのか、仕事は続けられるのか、そういった患者本人の日常行動を病名により規定されてしまうという側面を有することから、患者にとっての病名をパフォーマティヴな病名(行為遂行的病名)と呼ぶことにする。

[病名の存在論的差異

同じ病名でもコンスタティブな病名とパフォーマティヴな病名という2つの性格を有するのは、身体不条理の知覚と言う観点で、現象そのものと今ありありと感じているか否かに由来する。これは当の患者が身体不条理それを自覚するのであれば、病名が付与されようがされまいが、疑いようもない事実である。一方で医療者は、そのような振る舞いをとおして、疾患の苦しみを「想像」することはできても、現実の事として知覚することはできない。単にその身体不条理を治療するために病名を付与するだけである。このコンスタティブな病名とパフォーマティヴな病名の差には決定的に重要な点がある。それは病名に対する「関心」の問題だ。

病名に対する「関心」の差が、病名認識を大きく異なるものにさせている。医療者にとってのコンスタティブな病名には、「治療」という関心がある。身体不条理を緩和させ、あるいは消滅させ、患者の健康のために治療を行わなければいけない。実はそこには疾患本来が有する、人の時間軸におけるリアルな現象としての関心は消え失せ、この点においては単に事物化している。


一方で患者にとってのパフォーマティブな病名においては、明日からどのような生活をすれば様のだろうか、薬で本当に治るのだろうか、仕事ができなくなったらどうすれば良いのだろうか、と言うような、患者の時間軸でまさにリアルな現象としてとらえられてゆく。この関心の相違は非常に重要なポイントだろう。

存在論的差異とはマルティン・ハイデガーの存在論における中核概念(※3)であるが、病名の現存在への関わりという観点からすると、医療者にとっては事物的存在であり、患者にとっては道具的存在である。今日の医療では、医療者と患者における病名(疾患)の存在論的差異はあまり重視されない。しかしとても重要なことだと思う。

最後に一つの臨床研究を紹介しよう。直接病名とは関係ないかもしれないが、病名(疾患)の存在論的差異を考察するのに非常に重要な報告となっている。

 

www.ncbi.nlm.nih.gov

O'Kane MJ, Bunting B, Copeland M.et.al. Efficacy of self monitoring of blood glucose in patients with newly diagnosed type 2 diabetes (ESMON study): randomised controlled trial. BMJ. 2008 May 24;336(7654):1174-7. PMID: 18420662

この研究は新規に2型糖尿病と診断された70歳未満の患者184人(平均HbA1c8.7、平均59.3歳)に対して、血糖のセルフモニタリングを実施した群(96人)とモニタリングしない群(88人)の2つに分けHbAc1や精神的な影響、経口糖尿病薬の追加や低血糖の頻度などを評価したランダム化比較試験である。

その結果、12か月後のHbA(1c)は両群に明確な差は出なかった[6.9 % v 6.9 %, P=0.69]。さらに低血糖の頻度や追加された糖尿病薬、BMIの変化にも明確な差は出なかったが、精神的影響に関しては、セルフモニタリング群でうつ病指数が有意に上昇(depression subscale of the well-being questionnaireで6ポイントの上昇P=0.011)不安も増加傾向(P=0.07)であった。

測定された患者の血糖値を見て、それに対して当の本人である医療者は精神的な影響を受けることは少ないだろう。(そのことについて、現段階では証明されていないかもしれないが、普通僕たちは患者一人一人の血糖値に精神的なダメージを受け続けるという事を経験しない)しかしながら当の患者本人は、精神的な影響を少なからず受けているという事だ。身体不条理に対する存在論的差異はこのような形で具体化する。

病名をコンスタティブな病名とパフォーマティヴな病名の概念に分節すること、この2つは医療者側では、あいまいといいうよりはむしろコンスタティブな側面が多々あるが、患者にとっては与えられた病名はパフォーマティブな仕方で分節されてゆく。そういった病名の存在論的考察は、病名の存在論的差異を浮き彫りにし、病気の早期発見を考えるうえでも重要なポイントとなろう。

[注釈]

(※1)疫学的、思想的、医療について
病名と時間、構造主義医療から考察する疾患定義とは何か

syuichiao.hatenadiary.com

(※2)コンスタティブとパフォーマティヴはJ.Lオースティンの「言語と行為」で述べられている概念。単に言語テクストだけを分析してみると「あなたの後ろに牛がいる」というテクストは単に景色を陳述したコンスタティブなものか、牛が今にも襲い掛かろうといているためあなたに対する警告として発話されたパフォーマティブなものなのかという決定不可能性を露呈する。

言語と行為

言語と行為

 

 

(※3)ハイデガー存在と時間の中で、世界内に存在する存在者を2つの概念でその在り方を説明する。例えば、ハンマーが、くぎを打つために使用されている状態において、ハンマーは「道具的存在者」として存在していることに違和感はない。しかし、ハンマーが道端に落っこちていて、ぼんやりと眺められている状態であれば、ハンマーは単に「事物的存在者」として転がっているだけである。この道具的存在のありかたと事物的存在の在り方の差異を存在論的差異と呼ぶ。なお道具的存在者とか事物的存在者というのは、それぞれの存在者に固有の存在様式ではなく、ある存在者により、道具的存在者となることもあれば、事物的存在者にもなりうるということだ。ただの石ころでさえも、ハンマーの代わりとして道具的存在者になりうる。

 

存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)

存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)