思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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患者の選好・価値観に基づく医療(Value-based Medicine; VBM)

当記事は、第6回プライマリ・ケア連合学会学術大会 「シンポジウム10」 として開催された「生命の危機に直面した患者・家族と“いのちの終わり”に関する話し合いを始める」の口演をもとに作成しています。

[意思決定の根拠]

肺炎を発症した88歳の外来患者。「もういやだ、家に帰る」とどなっています。さて、医療者としての判断はいかにすべきなのでしょうか。帰宅させるべきなのでしょうか、それとも鎮静をかけて入院させるべきなのでしょうか。

意思決定の根拠にどのような重みを置くのか、すなわち意思決定の原理はとは何なのでしょうか。そして倫理的に考えるということとはどういうことでしょうか。意思決定の判断において、「良いこと」、「悪いこと」という2元的分類を、私たちは無意識的に行っています。良いこと、悪いこと、そう判断した根拠とは何でしょうか。直観的に良いこと、悪いこと、ではなく、その背景に何があって「良い」、「悪い」の判断をしたのでしょうか。あらためて考えてみると、明確な背景や根拠がないことも珍しくはありません。

正しい選択はとは何でしょうか。医学的な正しさでしょうか。学問的正しさよりもむしろ、患者にとって最善の選択は何か?という事をともに考える作業は大切なことだと思います。医療者は医学的利益、医学的無益、病態生理を重視しがちです。患者の選好、苦痛の度合い、ナラティブなどをどこまで意思決定に反映できるのでしょうか。

心配停止状態において、非癌患者であれば蘇生治療する、癌患者であれば蘇生しない。蘇生するかしないか、なんとなく「空気」でそう決まっている。デフォルトがやる。デフォルトがやらない、そんな現実があります。すなわち、よくよく考えると、蘇生などの治療をやるか、やらないかの明確な根拠がありません。

しかしながら「生きる」という事には無条件の価値があります。寝たきりだからか生きている価値がないと、私たちは一方的に決めること許されません。しかしながら、そのような意思決定が慣例によって左右されていることが現実として多々あるのもまた事実と言えそうです。

[対話と支配、意思決定のあり方]

意思決定において、医療者の考えがそのまま決定に左右されている状況、患者との対立がないところ、実はそこに「支配」があると言えます。むしろ医療者-患者の「対話」とは対立があるところにこそ存在します。不快に思う事こそ重要な部分がある、そういえるのではないでしょうか。人は誰も自分の死、あるいは親しい人の死を向き合うとこを避けるということを望みます。死を語るのはタブーであるという暗黙の了解があります。

[アドバンス・ケア・プランニング(ACP)]

終末期において今後の治療・療養について患者・家族と医療受持者があらかじめ話し合う自発的なプロセスをアドバンス・ケア・プランニング(ACP)と言います。患者の医療における意思決定能力低下に備えての対応プロセス全体の事と言えましょう。エンド・オブ・ライフを「表現」して「尊重」されること、そしてより多くの選択肢を知らせるために。このようなプロセスが有用だと言われています。

アドバンス・ケア・プランニングは、エンド・オブ・ライフケアや患者と家族の満足度を改善し、遺族のストレス、不安、抑うつを軽減することがランダム化比較試験で示されています。(※1)

ACPを実践するために、現状では様々な問題があります。患者側の医療情報の理解不足。病状による大きな苦痛、起こり得る状況を予測することが困難。現実の直視を避けながらの意志決定。非現実的な積極的な治療の要望、あるいは医療者側の教育機会の不足。ロールモデルの不在、予後予測の不確かさ。患者の意向の把握不足、多職種連携の不足など、乗り越えるべきハードルはまだまだあると言えます。

[アドバンス・ディレクティブに関わる問題点]

ACPの実践において、ある人が医療についての決断を下すことができなくなった場合に、医療についてのその人の希望を伝達するための文書、すなわち事前指示書をアドバンス・ディレクティブと呼びます。

アドバンス・ディレクティブを準備していた患者では、本人が希望する通りの治療を受けることと大きな関連を示した報告があります。(※2)

またアドバンス・ディレクティブがないと医師と遺族のコミュニケーションが問題を報告することが多いといわれています。(※3)

しかしながら、アドバンス・ディレクティブはエンド・オブ・ライフの質は変わらないとするクラスターRCTが存在します(出典未確認)。さらにアドバンス・ディレクティブを書くこと自体が侵襲的であるともいえましょう。感情は思考を支配します。

[経験を訪ねること]

どう患者と向き合えばよいのでしょう。患者自身の死と、ともに向き合うために、どのようなコミュニケーションをとれば良いのでしょうか。「経験をたずねることは非侵襲的」というのは大きなポイントと言えそうです。

~となったらどうしますか?

~となったらどうしようかと考えたことがありますか?

「あなたは自分がもう寝たきりになってしまい、意思疎通も取れなくなったらどうしますか?」と尋ねるのは侵襲的です。ではなく、「あなたは自分がもう寝たきりになってしまい、意思疎通も取れなくなったらどうしようか、と考えたことはありますか?」と尋ねることで、その話題に振れたくなければ、患者側は「考えたことありません」と容易にこの話題を避けることができます。

また患者本人だけではなく、その家族も一緒にケアプランを考えてゆく。できれば、患者本人が意思決定能力を失う前に、患者の選考、「患者にとっての最善」をその家族もしっかりと共有せねば意思決定の代理ができないという事は十分に考えられます。

[患者の選好・価値観に基づく医療(Value-based Medicine; VBM)]

患者がしてほしくないこと、その背景にこそ患者の価値観があります。どのようにすれば、その価値観を共有することができるのか、これはもう医学的な正しさとは無関係であると言えます。「医学的最善」と「患者の最善」は大きく異なるものでありますし、本来医療は、「医学的最善」を実行するのではなく、「患者の最善」を追及して行くシステムであると言えます。事実と価値は相関しない。意思決定を支える価値は多様です。多様であるがゆえに迷いが生じます。問題があるからこそ判断に迷うのです。だからこそ、意思決定プロセスとして相互了解のための原理が今の医療に必要なのだと思います。

生きるための医療から死ぬための医療へのシフトとその模索。高齢化を迎えた日本にとって避けて通れない医療のあり方、ACPもVBMもその一つの手法、行動原理として有用ではないか、僕はそう思います。

[参考文献]

(※1) Detering KM, Hancock AD, Reade MC.et.al. The impact of advance care planning on end of life care in elderly patients: randomised controlled trial. BMJ. 2010 Mar 23;340:c1345. PMID: 20332506

www.ncbi.nlm.nih.gov

(※2) Silveira MJ, Kim SY, Langa KM.et.al. Advance directives and outcomes of surrogate decision making before death. N Engl J Med. 2010 Apr 1;362(13):1211-8. PMID: 20357283

www.ncbi.nlm.nih.gov

(※3) Teno JM, Gruneir A, Schwartz Z.et.al. Association between advance directives and quality of end-of-life care: a national study. J Am Geriatr Soc. 2007 Feb;55(2):189-94. PMID: 17302654

www.ncbi.nlm.nih.gov