思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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とんでも医療と正統医療の哲学

こんなニュースを見た。 

[正統医療は正統なのか]

メタボ健診、効果検証できず=データ数十億件宙に―厚労省対策放置か・検査院」[1]

正直もう、どうしようもないとしか言いようがない。ほとほとあきれる。メタボ健診は効果を検証するという作業なしには継続する意義はそれほど多くない。現段階でメタボ健診がとりわけ有用であるとする根拠は無く、むしろ微妙であるという論文すらある。[2]

メタボ検診なんてやめればいい、という選択肢はこの世界には限りなくないように思える。しかし、そもそもある程度メタボのほうが長生きするという研究[3][4][5]を無視し続けるのは、いわゆる“とんでも医療”と一体何が異なるのだろうか。

まあ、論文の解釈もそれぞれだから、研究を無視しているというは、やや大げさかもしれない。一つの論文の解釈において、端的に言えば、どんな観察結果がでようが、補助仮説群に手を加え続ければ、当初の仮説を守り続けることができてしまうだろう。すなわち論文の結果をどう受け入れるかは、アドホックな仕方でいくらでも解釈できてしまうということだ。どんな仮説でもどんな観察からも指示される。これをデュエム=クワインテーゼという。だから臨床試験では常に過小決定の問題は付きまとうだろう。

[とんでも医療と正統医療の線引き問題]

とんでも医療を否定するのは、それほど難しいとは個人的には思わない。世にはとんでも医療本もたくさん出ているが、近年ではとんでも医療否定本も出ている。僕もEBMを実践する立場として、どうしても“科学的”寄り、まあ何をもって科学的なのかが重要なのだが、そのように情報は一定の批判的な仕方でみる癖がついてしまっている。

とんでも医療を否定するのはそう難しくはない。しかし、とんでも医療と正当医療の何がどう違うのか、という疑問にどう答えるのか、この問題は果てしないように思える。薬剤師なら経験はないだろうか。謎のエネルギー補給、経口ATP製剤…。もはや下剤?な第三世代セフェムやマクロライド…。これは正しい医療なのか、とんでも医療なのか…。漢方薬や鍼治療、あるいはマインドフルネスは?構成的経験論に基づけば現象が救われさえすれば、どんな医療も正統医療にはなりうる可能性を秘めている。それ故、正当医療ととんでも医療の境目は曖昧のように思える。しかし想像してみてほしい。

例えば今現在フサフサの髪の毛を1時間ごとに1本ずつ抜いて行ったとしよう。1日程度ではあまり変わらないかもしれない。というより24本抜いたところで変化はないだろう。しかし10年後には確実に変化が見られる。いったいどこで禿になったのか、その線引きはできないかもしれないが、僕たちはその違いをはっきりと知覚できる。正統医療と、とんでも医療も区別があいまいだと言いながらも、そのような仕方で、少なくとも怪しい医療と、科学的医療という概念が存在するわけで、僕たちは医療をどちらかにカテゴライズしている事に間違えない。いったいどのような基準でとんでも医療と正統医療を区別しているのだろうか。これを僕は伊勢田哲治さんに習い「とんでも医療と正統医療の線引き問題」と名付けよう。

[過小決定性がもたらす理論メカニズムでの線引き不可能性]

過小決定、すなわち決定不全の概念は臨床試験にも適用可能だというのはかなり重要な示唆である。帰無仮説の背景には複数の補助仮説(研究のbackground)があるわけで、得られた結果により仮説が反証されたとしても、一体どの仮説が誤っていたのか、何も知ることはできない。

アドホックな仮定を多用したヘンテコ理論であっても現象を上手く説明できることがある。エカントという補助線を導入したプトレマイオス天文学のように。だから合理的理論、メカニズムを示すだけではとんでもか正当かを明確に線引きできないのは確かだ。

確かに定説に反するような仮説がより多くの人に受け入れられ、パラダイムシフトを起こすには、やはり要因と現象の因果関係だけでなく、メカニズムまで説明できないとダメだという現実はある。大陸移動説が受け入れられた背景にはプレートテクトニクス説によるメカニズム理論が提起されてからなんだ。

しかし、考えても見てほしい。薬理学的メカニズムは正統医療の根拠なのか。では漢方、鍼治療の五行説はどうなの。・あるいはトンデモ医療なんていわれているがんもどき理論はどうなのか。どちらが科学的な理論なのか明確な線引きはできないのではないか?合理的理論あるいは因果メカニズムの真理を根拠に正統医療であることを主張するのはやや難しいと僕には思える。

[現象を救えるかどうかが鍵か?]

ファン・フラーセンは科学の目的は正しい理論を提供するのではなく、経験的に妥当な理論を作ることが目的なのだという。これは構成的経験主義という立場だ。医療に関しても基本的には同じ構造であると考えると、なんとなく腑に落ちることも多い。身体不条理という現象を救う事こそ医療の目的だ。現象を救うに当たり目に見えない理論的メカニズムの真理にはコミットしないという立場はかなり良い論点だと個人的には思う。(これは疫学的アプローチに類似しているのではないか)理論の正しさを線引きに用いるのではなく、現象を救えるかどうかを線引きに用いるというのはどうだろうか。

しかし、この立場で言えば現象が救われるのならば、どんな介入でも正統医療になりうる。いわゆる、とんでも医療によっても現象を救われた人たちも少なからずいるわけだし、科学的根拠に基づく医療でも現象が救われない人たちもいる。線引きのテーマとしてはなかなか興味深い論点なのだが、その区分を明瞭にできるわけじゃない。

[再現性と言う観点からの疫学・統計学的視点]

医療介入を受けた結果、現象が救われる、そういったことが一般化できる方法論、それが正統医療だとは言えないだろうか。要するに因果関係の再現性の度合を線引き問題の基準にするのである。疫学的関連性の示唆及び、統計的推論という仕方を導入することで、因果関係の再現性の頻度を線引きの目安にすることは可能ではないか。僕はこのあたりに線引き問題の可能性を見出そうとしている。「とんでも医療と正統医療の哲学」、これは僕の新しいテーマである。

[脚注]

[1] 時事通信 9月4日(金)17時8分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150904-00000107-jij-pol

[2] Effect of screening and lifestyle counselling on incidence of ischaemic heart disease in general population: Inter99 randomised trial.

BMJ. 2014 Jun 9;348:g3617. PMID: 24912589

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24912589

[3] Body mass index and mortality from all causes and major causes in Japanese: results of a pooled analysis of 7 large-scale cohort studies.

J Epidemiol. 2011 Nov 5;21(6):417-30. Epub 2011 Sep 10.

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21908941

[4] Body mass index, diabetes, hypertension, and short-term mortality: a population-based observational study, 2000-2006. J Am Board Fam Med. 2012 Jul-Aug;25(4):422-31. PMID: 22773710

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22773710

[5] Association of all-cause mortality with overweight and obesity using standard body mass index categories: a systematic review and meta-analysis. JAMA. 2013 Jan 2;309(1):71-82. PMID: 23280227

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23280227