思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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理論と現象のはざまで…

 中枢神経にはベンゾジアゼピンに親和性を有する部位が存在し、ベンゾジアゼピン受容体(GABAA受容体)と名付けられた。本邦でも汎用される睡眠導入剤の多くが、このベンゾジアゼピン受容体に作用する。しかし、その後ベンゾジアゼピン受容体はベンゾジアゼピン以外の薬物にも高い親和性を有することが分かり、1988年その名称をω受容体と改称することがLangerらにより提唱されている。

 この時点で、ベンゾジアゼピン系薬剤の作用機序は主にω受容体とそのサブユニットにより理論構築がなされた。中枢のω受容体には2つのサブタイプが存在し、それぞれω1、ω2受容体と呼ばれた。

 ω1、ω2受容体の脳内分布は異なり、ω1受容体が小脳、嗅球、淡蒼球、大脳皮質第4層等に多いのに対して、ω2受容体は筋緊張に関与する脊髄や記憶に関与する海馬に多く、したがって関与する生理的機能も異なると考えられていたのだ。1980年に同定されたゾルピデムマイスリー®)は、ω1受容体に選択的に作用する速効性の短時間型睡眠薬と言われ、筋緊張にかかわる有害事象が少ない薬剤として注目された。

 しかし近年ではω受容体の名称はほとんど用いられない。ゾルピデムのインタビューフォームにこそ記載があるものの、すでにこの2つのサブユニット理論では、ベンゾジアゼピン系薬剤がもたらす現象の挙動をうまく説明できないと考えられている。

 現在ではGABAA受容体について、5つのサブユニット、つまりαサブユニット2個、βサブユニット2個、γサブユニット1個からなる5量体という理論構築がなされている。さらにαサブユニットはα1~6に、βサブユニットは1~3の3つに、γサブユニットは1と2の2つのサブユニットの存在が確認されている。これらのサブユニットの組み合わせ、及び脳内分布が、ベンゾジアゼピン系薬剤がもたらす現象を説明しうる現時点での十全な理論という事だ。α4、α6についてはベンゾジアゼピン系薬剤、非ベンゾジアゼピン系薬剤に対する感受性はないとされ、α1~3,α5が重要な役割を果たすと考えられている。主な作用メカニズム理論は以下のとおりだ。[1]

α1▶鎮静、前向性健忘、依存

α2▶抗不安、筋弛緩

α3▶筋弛緩

α5▶健忘、筋弛緩

 従来のω1に相当するのがα1であり、その他のサブユニットはω2として理解されていたもののようである。ω受容体理論では現象をうまく説明できず、αサブユニットの細分化による5量体理論が現在のパラダイムと言えよう。

 理論はあくまで現象を説明するために十全なものであれば良い。B.C.ファン・フラーセンは構成主義的経験論 (constructive empiricism)の立場からそう主張する。一つの科学理論の承認に含まれる信念は、その理論が、『現象を救う』ということ、つまり観察可能なものを正しく記述する、ということだけである。[2]

 すなわち観察可能な現象をいかに正しく記述するか、「経験的に妥当な理論を作る」それが科学の目的であり、観察不可能な理論に対して、その真のあり方を示すことは本来科学の範疇ではない。高度な理論は現象を全て説明し尽くすかのような錯覚を覚えるが、理論が現象を説明するのではなく、現象を説明するための理論なのである。ω受容体理論であろうが、5量体サブユニット理論だろうが、サブユニットへの親和性が実際の鎮静効果、依存、転倒リスク等の現象の差異をうまく説明していると言えるのだろうか、という問いかけは非常に重要な視点だ。

 理論が不要なわけではない。現象を記述した疫学情報は統計学的知見により支えられているがゆえに、常にαエラー、βエラーという2つの統計的過誤や、系統誤差と言うようなバイアスの影響が軽視できないからだ。

 先日、GLP-1受容体作動薬リキシセナチドの心血管アウトカムを検討したランダム化比較試験がN Engl J Med.に掲載された。[3] 研究組み入れ180日以前に心筋梗塞、もしくは不安定狭心症による入院を有する2型糖尿病患者を対象としたランダム化比較試験である。

 対象者は標準ケアに加えて、リキシセナチドとプラセボの2群にランダムに割り付けられた。一次アウトカムである心血管死亡、心筋梗塞脳卒中、不安定狭心症による入院に対する非劣性マージンは95%信頼区間上限1.3、優越性は同1.0と設定された。

 6068人がランダムに割り付けられ中央値で25か月追跡された。一次アウトカムはリキシセナチド群で406人(13.4%)、プラセボ群で399に(13.2%)であった。(ハザード比1.02[95%信頼区間0.89~1.17])  リキシセナチドはプラセボに対する非劣性が示されたが優越性は示されなかった。つまり、リキシセナチドはプラセボと同等の薬剤でしかないことが示唆されているのだが、これは単なる統計的エラー、あるいはバイアスの結果であって、たまたまこんな結果が出ただけだというような反論はできてしまう。

 しかし、インクレチン関連薬であるDPP4阻害薬の臨床試験群を思い出してほしい。サキサグリプチン、アログリプチン、シタグリプチン、いずれもプラセボに対する優越性は示されていない。[4][5][6] 作用機序理論が類似しているGLP-1作動薬に関して、これを覆すような結果が出る方が、病態生理理論と矛盾している、そのように言えまいか。この先もGLP-1作動薬について、プラセボより優れた効果を記述した情報は出てこないように思われる。このように理論は現象の記述に生じうる不確実性を補完する情報なのだ。 

睡眠導入剤に関して言えば、薬物依存を一次アウトカムにしたランダム化比較試験はこの先も実施されないであろう。現象を記述した情報が無いのであれば、理論情報より推測するほかない。その推論の確度をより高めるためにも、高度な理論構築には意味がある。ω受容体理論では薬物依存に関する現象予測は5量体理論より不明瞭であろう。ましてやベンゾジアゼピン受容体理論では何も分からない。

エスゾピクロンは理論上α1サブユニットに対する作用強度が相対的に小さい。α2,α3への強度が高いために高齢者では転倒リスクの懸念がある[7]が、若年層では薬物依存リスクが少ない可能性があるという推測も可能だ。[8][9]

高度な理論が現象を完全に説明するものではないかもしれない。しかし現象を記述した情報がない以上、僕たちにできるのはより洗練された理論情報からの推測なのだ。ただ忘れてはいけない。理論は現象を説明し尽くすものではない。特定パラダイム内における現象を説明するのに十全な理論であるに過ぎない。そしてパラダイムは社会構成的に時代とともに変化して行く。より洗練された理論を構築するために、僕たちは現象を追いかけ続けねばいけない。

 

※参考文献※

[1] Tan KR.et.al. Hooked on benzodiazepines: GABAA receptor subtypes and addiction. Trends Neurosci. 2011 Apr;34(4):188-97. PMID: 21353710

[2] B.C.ファン・フラーセン『科学的世界像』1986

[3] Pfeffer MA.et.al. Lixisenatide in Patients with Type 2 Diabetes and Acute Coronary Syndrome. N Engl J Med. 2015 Dec 3;373(23):2247-57. PMID: 26630143

[4] Scirica BM, et al. Saxagliptin and Cardiovascular Outcomes in Patients with Type 2 Diabetes Mellitus. N Engl J Med.2013 Oct 3;369(14):1317-26. PMID 23992601

[5] White WB, et al. Alogliptin after acute coronary syndrome in patients with type 2 diabetes. N Engl J Med. 2013 Oct 3;369(14):1327-35. PMID: 23992602

[6] Green JB.et.al. Effect of Sitagliptin on Cardiovascular Outcomes in Type 2 Diabetes. N Engl J Med. N Engl J Med. 2015 Jul 16;373(3):232-42. PMID: 26052984

[7] 文献1より

[8] Scharf M.et.al. Eszopiclone for the treatment of insomnia. Expert Opin Pharmacother. 2006 Feb;7(3):345-56.. PMID: 16448328

[9] もちろんコストの観点から、それだけのベネフィットが得られるのか、と言う問題もある。理論だけではなかなか費用対効果まで論じることは困難である。それを踏まえたうえで、どう判断するかが肝要だ。