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思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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幸せというものが僕にはよくわからないんだ。

死を迎えることは人間にとって不幸であるというような価値観がある。ごく一般的な価値観かもしれない。ただ、死ぬことが不幸なのか、幸福なことなのか、それは世間一般の価値観で測れるような尺度ではないことは確かだ。 

人は他者の死から、自己の死を概念化する。その様態から、死は恐ろしいもの、忌まわしきもの、実に様々な印象を編み上げる。死はまた医療の敗北を意味することさえある。

どのように死ぬか、健康長寿を達成した平和なこの国では、死に対してどう向き合うかと言う問題が注目されるように思える。死に方の多様性が当たり前なこの国では、死との向き合い方も実に様々だ。多くの場合「ぽっくりいきたいなあ」と言うような死に方が、なんだか望ましい死に方のような、そんな印象もある。誰もが苦しみながら死ぬことは避けたい。しかし「ぽっくり」などと言う死は幻想にすぎず、健常者ほど高度な医療がもたらしたその恩恵で、人は“ぽっくり”ではなく、“徐々に”死亡する

健康長寿のその先に、ごく当たり前のように癌という疾患がある。寿命が延びれば癌を発症する確率は高くなるのは生物学的にも明らかであろう。正常なDNAを、正常な免疫システムを、いつまでも維持しておくことは現代医療でさえもままならない。もはや日本人の死因トップは悪性新生物、つまり癌である。[1]

がん患者の終末期医療、緩和医療などと呼ばれる死ぬことを前提とした医療がある。徐々に訪れる死に対して、死の直前まで、患者の幸福のために、生活の質を維持するために行われる医療の一つだ。緩和困難な終末期症状に対して、意識そのもののレベルを持続的に下げる治療、いわゆるセデーションという手段がある。苦痛緩和のための鎮静であろうが、意図的に意識低下を薬剤投与により行うセデーションは、一部ではあまり良いイメージがなく、生存期間を短縮するのではないか、という懸念すらあった。

終末期のおけるセデーションに関する2015年のシステマテックレビュー[2]では、このテーマに関して基準を満たすランダム化比較試験は検索されなかったとし、ケースシリーズ研究14研究のレビューが行われている。解析対象は4167人の成人で、そのうち1137人がセデーションを受けている。また95%以上が癌患者であった。この報告によれば、いずれの研究もQOLやparticipant well-beingを一次アウトカムに設定されていない。5つの研究で異なる研究手法を用いているために結果の統合、つまりメタ分析ができなかったとしている。またセデーション施行にも関わらず、死亡前まで、せん妄や呼吸困難などの症状は持続していたと報告されている。生存期間については明確な差は無かった。セデーションが苦痛を緩和するのか、患者のQOLや幸福度にどのような影響を与えるのか、きちんとした検証はなされていないという事、またその検証はなかなか難しいのではないかと思われる。また鎮静をかけているにもかかわらず、緩和困難な苦痛から、どの程度解放されているのか、よく分かっていないようだ。

先日、この分野に関して日本のコホート研究2次解析が報告された。[3]この研究は日本の58施設で行われた大規模前向きコホート研究の二次解析である。20歳以上で緩和ケアを受けた進行癌患者2426人が研究対象となり、追跡できた1827人が解析されている。この内269人がセデーションを受けており、生存期間中央値はセデーション群で27日、非セデーション群で26日であった。その差は-1日[95%信頼区間 -6 ~ 4]で統計的有意な差は無かった。ハザード比は0.92[95%信頼区間0.81~1.05]となっている。

傾向スコアマッチングによる解析では、セデーション群で22日、非セデーション群で26日と、こちらも統計的有意な差は見られなかった。セデーションの施行目的と言う観点からすると、生存期間は真のアウトカムとは言えないだろう。ただセデーションに対して、生存期間がどうのというネガティブな価値観があるのであれば、これらのエビデンスは、治療の選択肢の一つとして、ポジティブになり得る可能性を秘めているようにも思える。

しかしながら現時点で、患者QOLや幸福度にどの程度貢献する治療なのか、その実効性は分からないとしか言いようがない。死亡直前までせん妄や呼吸困難が持続するのであればセデーションが生存期間を短縮しないにしても、ほんとうに必要な医療行為なのか、議論の余地はある。患者家族などの想いも重要なアウトカムであり、患者と患者を取り巻くすべての人達の多種多様な価値観の中で、判断せねばならないのだろう。[4]

 

幸福や生きがいと言うのは人が生きるうえで重要なものだとみなされている。しかし幸福という要素が、生きることにどれだけ重要なことなのだろうかと僕は思う。確かに生きがいは死亡のリスクを減らすかもしれない。[5][6] そして生きがいは幸福につながるのかもしれない。しかし、生きがいを持てるのは、実は選ばれた人たちであるということを忘れてはならない。生きがいを持つことは自分の意志ではない。時間的、経済的余裕のなさが、生きがいとは何だろうか、という事すら考えさせてくれる余裕のない人生を生み出すこともある。生きがいを見つけられず、それでも生きなければならない人は幸福ではないのか。そもそも幸福こそが生きることにとって重要な意味を持つものなのだろうか。

不幸は死亡に影響するリスク因子なのか。そのような疑問に対する示唆を与えてくれる前向きコホート研究が報告された。[7] この研究は英国における719 671人の女性(年齢中央値59歳)を対象に平均9.6年間追跡したものである。44%にあたる315 874人が大体において幸福だと答えたのに対して、17% にあたる121 178人が不幸であると答えた。交絡への配慮として高血圧、糖尿病、喘息、関節炎、抑うつ、不安、社会人口学的要因、喫煙・飲酒・BMIなどライフスタイルファクターで調整されている。

この研究の結果、不幸だという状態が必ずしも常に幸福な状態に比べて死亡のリスクが高いわけではないことが示されている。(率比0.98[95%信頼区間0.94~1.01])もちろん因果関係を示唆するものではないかもしれない。ただこれだけの症例数を用いて、約10年追跡しても有意な差が出ないというのは、なかなか興味深い。幸福は長生きとは関連していない可能性がある。たとえ短命であろうと幸福な人生があるという事かもしれない。むしろ長生きするほど不幸なのだとは言えまいか。

 

社会が疎外しようとしている身体不条理、障害、死。医療はいったいどこを目指しているのか。健康長寿を達成するということで何かを失ってはいやしないか。苦悩の無い世界に幸せはあるのか。苦しいからこそ垣間見える幸せの存在可能性は限りなくないのか。身体不条理を抱えているからこその希望は無いか。

 

人は常に自分の幸福を望むが、必ずしも常に、何が幸福であるか分かっているわけではない。

かつてジャック ルソーはそんなことをいった。[8]

 

幸福というのはある意味で幻想の上に成り立っているのではないか。生きていくうえで幻想は必要な営為である。共同幻想か個人幻想か、程度の差はあれ幻想の世界を僕たちは生きている。自分が住んでいる街並み、景色、そういった世界観ですら、ある意味で幻想に満ちている。もちろん人間関係もそうだろう。苦しみや悲しみのリアルさを幻想は幸せに変えてくれるのかもしれない。

そして、幸せを感じるということは、決して過去の楽しかった記憶と比例する訳ではない。むしろ苦しかったからこそ、幸せを感じることができるのだと僕は思う。つまり幸せになるというのは未来完了形なのだ。将来、ある時点で振り返ったときに、ああ幸せだったなと、そう思うことができる。だから、僕たち医療者が、死を目前にした患者の幸福を論じることができるのだろうか。僕はそのように思う。死にゆく人の幸せは未来において完了しない。自分自身のことも含めて、幸せというものが僕にはよくわからないんだ。

[参考文献]

[1] http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei14/dl/gaiyou.pdf

[2] Beller EM.et.al. Palliative pharmacological sedation for terminally ill adults.Cochrane Database Syst Rev. 2015. Jan 2;1:CD010206.PMID: 25879099

[3] Maeda I.et.al. Effect of continuous deep sedation on survival in patients with advanced cancer (J-Proval): a propensity score-weighted analysis of a prospective cohort study.Lancet Oncol. 2015. Nov 20. pii: S1470-2045(15)00401-5.PMID: 26610854

[4] 緩和困難な苦痛にゆがむ患者の表情を見るのがつらいのか、患者本人の苦しみに対しての想いなのか、筆者はよく分からない。セデーションがもたらす主観的な効果については本人以外に知る由もない。そして患者本人は間もなく死亡してしまうのである。

[5] Sone T.et.al. Sense of life worth living (ikigai) and mortality in Japan: Ohsaki Study.Psychosom Med. 2008.PMID: 18596247

[6] Tanno K.et.al. Associations of ikigai as a positive psychological factor with all-cause mortality and cause-specific mortality among middle-aged and elderly Japanese people: findings from the Japan Collaborative Cohort Study.J Psychosom Res..PMID: 19539820

[7] Does happiness itself directly affect mortality? The prospective UK Million Women Study.Lancet 2015.PubMed未収載 DOI:http://dx.doi.org/10.1016/S0140-6736(15)01087-9

[8]JJ.ルソー 社会契約論 第二編 第七章 岩波文庫p6