思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

カウンター カウンター

恐怖の哲学から垣間見るポリファーマシー問題

〔introduction〕

ポリファーマシー(Polypharmacy)と言う概念をうまく日本語で表すことは難しいように思う。ただ一般的には多剤併用と言われているような概念だろう。「Poly~」、つまりたくさんのファーマシーと言うわけだ。

ポリファーマシーと聞いて受けるイメージはどうだろうか。何やらたくさんの薬を服用せねばならない状況は多くの場合であまりイメージが良くないかもしれない。たくさんの病気を抱えて生きている人、そんなイメージもあってとても健康的な状況を想像できない。また薬物相互作用や経済的観点からも良いイメージを描くことは難しいように思う。

ポリファーマシーに抱く信念は自分の意志ではない。ポリファーマシーに関わらず、ある仮説に対する信念形成を自ら意志することは不可能だ。例えば、富士山の頂上に怪しげな施設があって、そこから早朝6時にUFOが出入りしているのだ、と言う信念を自分の意志で抱くことはできない。[1]仮説に対するなにがしかの根拠から信念は自然に立ち上がる。根拠を集め、吟味するのは僕たちの意志で遂行可能だが、信念形成は生じるのである。

「われわれは、ある仮説についてその証拠を集めようと意志することはできる。そして十分な証拠が集まったら、仮説を信じるようになる。このときの「信じるようになる」は自然に起こる」(戸田山和久 恐怖の哲学 NHK出版新書  p259)

信念は生じるものであり、「なんやそれ、お前、頭おかしないか?」ということを信じている人も、彼らなりの証拠[2]があるわけだ。

ポリファーマシーは悪であるという仮説があったとして、それを裏付けるような根拠は確かにある。高齢者において、使用薬剤の剤数が多いと死亡のリスクが増加するという疫学研究は複数報告されているのだ。[3][4] もちろん死亡だけでなく、薬物有害事象を含めたら報告されている文献はきりがない。ポリファーマシーは悪であるというような信念形成はこのあたりから生じるのかもしれない。ただここであえて問い直したいのは、本当に死亡や有害事象リスクが増えるのか、と言う問題と、そもそも高齢者におけるポリファーマシー問題の真のアウトカムは死亡や有害事象なのか、という問題である。[5]

〔ポリファーマシーで死亡は増えるのか〕

ひとつ興味深い研究を紹介しよう。65歳以上の高齢者59,042人を対象とした後ろ向きコホート研究だ。[6]年齢、性別、併存疾患で交絡補正をした結果、ポリファーマシー状態や潜在的に不適切な薬剤使用、あるいは高コリン性有害事象スケール(anticholinergic risk scale)の増加は、骨折による入院だけでなく全原因入院リスクを増加させたと報告している。ところが死亡リスクに関してはむしろ減少しているのである。(図1)

f:id:syuichiao:20160127170745p:plain

(図1)CMAJ. 2015 Mar 3;187(4):E130-7. PMID: 25646290より引用

(図1)を見ればお分かりの通り、ポリファーマシー、潜在的に不適切な薬剤使用、anticholinergic risk scale、どの因子においても死亡のリスク低下が一貫して示されている。ポリファーマシーが死亡と関連しないという報告は今年(電子版は昨年12月)に入っても報告されている。[7] 60歳以上の3348人を対象としたコホート研究で、年齢、性別、併存疾患、教育レベル、日常生活動作、MMSE、居住地などで補正後「Polypharmacy was not associated with mortality (adjusted HR = 1.03; 95% CI = 0.99-1.06).」という結果であった。[8]

観察研究は因果を示すものではないとはよく言われるが、ことポリファーマシーに関しては害悪の部分のみが強調されているように思われる。交絡補正は本当に十分なのか。このように矛盾した結果が得られたのは、そもいかなるわけなのか。高齢者においては、残された余命に比べてポリファーマシーという状態が与えるリスク自体が、僕たちが想像するより小さいのかもしれない。

 

〔死への恐怖とポリファーマシー〕

多剤併用がなされる背景に多疾患併存つまりMultimorbidityの問題がある。現れる症状に対していちいち薬剤を投与していれば必然的にポリファーマシーとなるだろう。平均82.8歳の高齢者70人を調査した研究では61%で3つの疾患を有し、26%で5つ以上の疾患を有していたと報告されている。[9]付けられた病名に対応するすべてのガイドラインに準拠し、妥当な医療を提供すれば、ポリファーマシー状態になることは想像しやすいだろう。ポリファーマシー状態となれば不適切な薬剤使用やanticholinergic risk scaleだって上昇する可能性は非常に高くなると言える。

僕たちは現に今病気だから薬を飲むとは限らない。僕たちはなにがしかの不安におびえ治療にすがる。死そのものを恐れているわけではなく、死に至る過程を恐れている。

「われわれは、人はみな死を恐れていると思い込んでいるが、それは大きな間違いだと思う。死を恐れるのは実はとても難しく、抽象的な表象を駆使したかなりの知的努力を要することなのだ。多くの人が恐れているのは、死ではなく死にまつわるさまざまな怖いことである」(戸田山和久 恐怖の哲学 NHK出版新書  p202)

その過程が病気だろうが病気ではなかろうが、僕たちは恐れを抱く限りはなにがしかの手段でその恐怖を回避しようと企てる。つまりこういうことだ。「死に至る過程」は僕たちに不安と恐怖を表象する。そういった情動が医療に依存した行動を形成する。過剰診断のリスクもここに存在することになる。医療を受けることで、予後にあまり影響のない現象が「病気」として切り取られる可能性が高くなり、それがMultimorbidityにつながる。するとそれぞれの「病名」に対して薬剤が使用されポリファーマシー状態となり、潜在的に不適切な薬剤使用も増加するという仮説だ。このケースでは情動がもたらした行動が潜在的に不適切な薬剤使用を増加させているのであって、現象自体は大きく予後に影響するものではないかもしれない。(図2)

f:id:syuichiao:20160127170906p:plain

 (図2)ポリファーマシーを生み出す構造

ただここで、死亡が減るとか、増えるとか、有意差なし、とはどういう事なのだろう。(図2)を見ればお分かりの通り、交絡補正が十分でないと、ポリファーマシーと死亡や有害事象の因果関係を決定づけるのは相当困難なように思われる。ポリファーマシー状態と死亡はただの相関関係であって、真の原因はもっと深遠なる要素なのではないか。データベースに基づいて疾患状態で補正をかけることができても、恐れというという情動や行動スタイルと言った要素に対する薬剤使用は統計的手法では補正が困難である。

 

[ポリファーマシー問題の真のアウトカムとは何なのか]

仮に死亡が増えたとして、「でもぽっくりしねりゃそりゃ本望だわ」っていう爺さんがいたとしたら、その爺さんにとっては死亡と言うアウトカムは決してネガティブな意味合いを持たない。それはむしろ喜ばしいことでもある。まあこれは極端な例かもしれないが、必ずしもポリファーマシー問題で注目すべきアウトカムは死亡や有害事象だけではない気がしている。

死は悪であり不幸なことなのだろうか。在りし日の僕と現在の僕。例えば僕が死んだらその差違の中に不幸が生じるのかもしれないが、この場合、幸か不幸かは当の本人にはあまり関係のないことである。本人にとって、幸か不幸かはある特定の状態に生きたときに知覚されるのであって、死んだらなにも感じないではないか。死そのものには苦痛や不幸は存在しない。死に存在するのは「在りし日の僕の不在」だけだ。

「つまり、死の悪さは、痛みの悪さや悩みの悪さのようなポジティブな悪さではなくて、ポジティブな善さの不在、というネガティブな悪さなのである」戸田山和久 恐怖の哲学 NHK出版新書 p208

80歳で死ぬことよりも20歳で死ぬことの方がより不幸に思われるのは、後者がより多くの望ましいものを当人から奪うというわけで、けっして80歳で死ぬことより20歳で死ぬことの方が苦痛が大きいからではない、と戸田山和久先生(名古屋大学情報科学研究科教授)は指摘する。

死に潜む悪は、そこに至る過程やポジティブさの不在にまつわる悪である。ポリファーマシーが悪だとしたら、死に至る過程やポジティブさの不在をより助長するという根拠が必要だ。しかし不適切処方の中止を阻害する患者要因として、薬剤効果への過度な期待や、薬をやめることへの恐怖(不安)などが挙げられているのもまた事実である。[10] 死に至る過程において不適切な薬剤を中止すること自体が恐怖なのだとしたら、ポリファーシー状態ではあるが確かに不安から逃れ、ある程度幸せにやっているんだ、と言う人たちが確かに存在するはずだ。一般的にEBMの実践においては患者の真のアウトカムは「幸福になれたか」と言う問題を最重要視する。このケースで言えば、ポリファーマシーで幸福であれば、もはや介入の必要はないことになる。 

ポリファーマシーという概念がこの国で取り上げられた背景には、医療経済的な問題も大きいと感じる。つまり経済的な要因に何らかの影響を及ぼすだろう期待を見越して、ポリファーマシー問題が意図的に持ち出されたという側面もあるだろう。僕たちはそのことに自覚的でなければ、大切な視点を見失う。介入して長生き、でも薬をやめたことへの不安や恐怖におびえ、死と向き合わねばならない時間が本当に幸福と言えるのだろうか。[11]ポリファーマシーや潜在的に不適切な薬剤使用がもたらすアウトカムには二面性があるということは知っておいた方がよさそうだ。

〔参考文献/脚注〕

[1] 意志できてしまうという方は、このブログではなく、何か別の記事を読んだほうが良いと思われます。

[2] もちろん科学的か、非科学的かと言う問題はある。ただ確信できる根拠がなければ仮説を信念として採用することはできないように思える。無根拠に信念を確信できる人は、おそらく人知を超えた崇高な存在なのかもしれない。こんなブログを読んでる場合ではないだろう。

[3] Gómez C.et.al.Gerontology. Polypharmacy in the Elderly: A Marker of Increased Risk of Mortality in a Population-Based Prospective Study (NEDICES).2015;61(4):301-9. PMID: 25502492

[4] Jyrkkä J.et.al. Polypharmacy status as an indicator of mortality in an elderly population. Drugs Aging. 2009;26(12):1039-48. PMID: 19929031

[5] 頭おかしいのはお前だ、と言う批判もできようが、このように問い直す信念が形成された以上は仕方ない…。

[6] Lu WH.et.al. Effect of polypharmacy, potentially inappropriate medications and anticholinergic burden on clinical outcomes: a retrospective cohort study. CMAJ. 2015 Mar 3;187(4):E130-7. PMID: 25646290

[7] Wimmer BC.et.al.. Medication Regimen Complexity and Polypharmacy as Factors Associated With All-Cause Mortality in Older People: A Population-Based Cohort Study. Ann Pharmacother. 2016 Feb;50(2):89-95. PMID: 26681444

[8] ただし、この報告ではMedication Regimen Complexity Index(MRCI)、つまり薬剤レジメンの複雑さが上昇すると、わずかに死亡リスク上昇が示唆されている。「higher MRCI was associated with mortality (adjusted HR = 1.12; 95% CI = 1.01-1.25)」.

[9] Garfinkel D.et.al. Feasibility study of a systematic approach for discontinuation of multiple medications in older adults: addressing polypharmacy. Arch Intern Med. 2010 Oct 11;170(18):1648-54. PMID: 20937924

[10] Reeve E.et.al. Patient barriers to and enablers of deprescribing: a systematic review.Drugs Aging. 2013 Oct;30(10):793-807. PMID: 23912674

[11] もちろん僕は有害性を軽視しているわけじゃない。有害性の中にもベネフィットが存在しているという面を強調したいだけだ。つまりこの問題はリスクベネフィットという視点でとらえなければいけない…まあ当たり前のことだが、ポリファーマシーも医療の一部なのだから。