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思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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医療に自由はあるか。-“正義”に潜む“犠牲”の声に耳を傾けて‐

医療における“自由”を考えている。自由とは何だろうか。これまで数々の議論が交わされたであろうこのテーマだが、医療における自由を考える機会は、そう多くないように思える。

学校には校則と言うような規則があった。集団生活を円滑に行うためにも一定の規則には意味がある。だがそれは一方で自由を奪う。自由が奪われることが良いことなのか、あるいは悪いことなのか、そういった二元論を展開させてゆくと、なんだか、果ての無い論争が広がっているような気がする。ただ少なくとも自由の無い世界は、程度の差はあれ生きにくいという面があるのだと僕は思う。[1]

主体性と言われるものの一部が、一定の思想により支配され、主体性が疎外されている状況。これを僕は「自由が無い」と表現する。この疎外状況は自分の意志とは無関係であることに注意されたい。校則による主体性の制限は、自らの意志に基づく行動の制限を要請するが、主体性が疎外される状況は、それに限ったことではない。「〇〇するより他ない」という状況は「〇〇するのが当たり前だろう」という状況と構造的に類似している。そして、その当たり前さの強調は「〇〇するより他ない」という状況を一定の割合で生み出し、「〇〇しない」という選択肢を奪う。

〔ルセインコ事件〕

特定のイデオロギー支配下に置いては、他のイデオロギーに対して、社会は排他的であり、ネガティブな仕方で国民的合意が形成されるということは歴史を振り返っても明らかである。第二次大戦当時の「非国民」という概念が、その状況を物語る良い例であろう。

メンデル遺伝学を否定した旧ソビエト連邦の生物学者トロフィム・デニソビチ・ルイセンコ(1898~1976)は、生物の特徴は環境により変化し、それが遺伝する、という独自の進化論を提唱した。これはラマルクの進化論、思想的にはラマルキズムの影響をうけている。環境に応じて、それに適応していく行動、つまり環境に対する反応としての合理的な振る舞いが後の世代に遺伝するという考え方だ。このような考え方が時の権力者スターリンに支持され、メンデル遺伝学をベースにした新たな遺伝学形成の疎外が国家的になされた。これによって旧ソビエトの生物学は衰退し、農業技術も相当程度の遅れを取ってしまったと言われる。

僕たちは正統を論じることで、必ず何かを失っている。論じている正統の真の正しさは、本来、論じている時点ではわからないはずなのだが、それは正しいことだと確信している。そしてそれは正義というイデオロギーを形成することもある。しかし、正義の主張のもとには抹殺されたメンデル遺伝学支持者のように、確かな犠牲がある。彼らの声は正義と言う支配的イデオロギーのもとでは誰にも届かない。声なき声を知らないことで、僕たちは確実に何かを失い、時にそれさえ気づかない。

〔多剤併用にまつわる正義〕

多剤併用問題が浮き彫りになる中で、薬物治療の中止介入(Deprescribing)が注目されている。潜在的に不適切な処方は積極的に中止すべきと言うような考え方は、一部では大きな誤りではないように思う。ただ、それも医療の部分に過ぎないという認識は忘れてはならないだろう。

不適切な処方と言う概念があるからには適切な処方な処方なるものがあることを前提としている節もあるが、本来、適切な医療を測る物差しなど存在しない。エビデンスに基づく医療が必ずしも正しい医療とは限らないし、エビデンスの無い医療が必ずしも不適切とは限らない。

それでも、「禿げ頭理論」という考え方がある。これは例えば、黒から白まで連続的につながっている概念において、そのグレーゾーンに線引きが難しくとも、確かに“白”と“黒”は別物だ、という考え方である。フサフサの髪の毛を1本1本抜いていくとフサフサからツルツルまでは連続的につながり、何本抜いた時点で禿げ頭となるのか、明確に線引きすることはできない。しかし、フサフサとツルツルは明らかに異なる状況と言えよう。つまり、適切な処方や不適切な処方の境目は明確に区分できるものではないが、明らかに不適切な処方や、明らかに適切な処方なるものは存在するのだ、ということである。

さて、では明らかに不適切な処方があったとして、積極的にDeprescribingすべき薬剤とは何なのか。ある研究によると、最優先で介入すべき薬剤として高齢者へのベンゾジアゼピン系薬剤使用が挙げられている。[2]

この研究は、老年医学に関する専門家や薬剤師や家庭医、社会科学者からなる専門家チームによるコンセンサスを取りまとめたものである。そもそも医療者はベンゾジアゼピン系薬剤自体に薬物依存だとか、有害事象だとか、あまり良いイメージが無いことも多いだろう。[3]さらに複数の専門家のコンセンサスとして、「高齢者におけるベンゾジアゼピンは積極的に中止介入すべし」というメッセージは、社会的にはある種のイデオロギー形成に寄与する傾向にある。

ベンゾジアゼピンに対するネガティブなイメージは、程度の差はあれ医療者ならだれでも持つものであろう。しかし、文献上示されているリスクをあらためてひも解いてみると不明な部分も多い。高齢者においては、転倒、骨折を除けば、そのリスクはあまり明確ではない。[4][5][6]

最優先で中止すべき薬剤かどうかは、やはり患者個別の問題であり、一律に規定できない部分は確なはずなのだ。しかし「高齢者におけるベンゾジアゼピンは積極的に中止介入すべし」というイデオロギーが支配的な社会では、わずかな有害事象を見逃さない代わりに、そこから恩恵を受けていた人たちの声を軽視(ないしは無視)する傾向が生まれるということになる。そして、「ベンゾジアゼピンをやめるよりほかない」というような極端な状況に進展すると、そこには僕のいう「自由」がなくなる。

もちろん今現在そのような社会的合意が形成されているわけではない。ただ多剤併用問題への対応も一歩間違えれば、このような状況を容易に作り上げることが可能となるだろう。しかもそれは科学的根拠に基づく「正義の医療」として、多くの場合で、ためらいもなく実行される恐れを孕んでいる。

〔積極的な糖尿病検診という不自由さ〕

糖尿病の早期発見、早期治療という考え方もまた、程度の差はあれ「正義の医療」、そこから受けるイメージはポジティブである。「糖尿病の早期発見なんて無意味だろう、俺はしらねぇよ」、という考え方は決してポジティブな仕方で理解されない。(ことが多い)

糖尿病を早く見つけない、早く治療しないという考え方に対して、「医療者の正義」は排他的である。端的に言えば、病気を見つけない選択肢を奪うことが正義だと思っている。糖尿病は早期に見つけて、早期に治療するよりほかない…。突き詰めていくと、自由の無い社会形成の可能性は、いたるところに存在する。[7]

糖尿病スクリーニングに関しては2015年にシステマティックレビューが出ている。[8]糖尿病のスクリーニングを実施しても10年追跡時点で、死亡率を改善するようなことは示されていない。

740人の2型糖尿病患者を対象にスクリーニングを実施した場合と、通常の臨床診断を比較して10年以上追跡した研究でも死亡や心血管死亡に明確な差が無いことが示されている。[9]

薬局店頭での簡易血液検査が、かかりつけ薬局における重要な役割だ、とか地域住民の健康意識を高めるために有用だとか言われている現状もある。彼らは国民の健康意識を高め、糖尿病を早期に発見、早期に治療することこそが正しい医療、正しい地域薬局の在り方だと確信している。

仮に、そのような確信がすべての薬剤師の支配的イデオロギーとなれば、「糖尿病は早期に発見するよりほかない」、という社会的合意が形成される恐れもはらんでいる。完全な疎外とは言わないまでも、少なくとも糖尿病を早期に発見しないという主張を疎外する傾向にあるのは確かだろう。

〔自由の果てにあるのは〕

どんな生き方にも、生きる事には無条件の価値がある。それは本来、誰にも疎外されてはならない。自由の果てにあるのは、生きる価値の肯定である。こんな当たり前のことをなぜ強調しなくてはいけないのか。それは自由を奪っているのが、一部の「正義」だからだ。これまで述べてきたように、生きる価値の否定は、その時代を支配するイデオロギー、つまり「正義」によりなされることもある。

薬の相互作用や有害事象に注目するも良い。ただそれを根拠に実行した医療判断が、患者から奪う選択肢の重要性を、有害アウトカムの頻度や程度、と比較したらよい。医療介入の有用性に注目するも良い。ただ、医療において、科学的合理性と社会的配慮は別問題だということも知っておいて良いだろう。

医療における「自由」。その意味…。それは「…するより他にない」というような世界の外で生きることだ。

〔参考文献/脚注〕

[1] もちろん一定の規則やルールは必要なのかもしれないが。まあこのあたりはホッブスやルソーなんかをもう一度読み直したいと思う。

[2] Farrell B.et.al. What are priorities for deprescribing for elderly patients? Capturing the voice of practitioners: a modified delphi process. PLoS One. 2015 Apr 7;10(4):e0122246.  PMID: 25849568

[3] たいていはそうだろう。もちろん例外もある。

[4] Shelly.L.G.et.al. Benzodiazepine use and risk of incident dementia or cognitive decline: prospective population based study. BMJ. 2016 Feb 2;352:i90.  PMID: 26837813

[5] Jaussent I.et.al. Hypnotics and mortality in an elderly general population: a 12-year prospective study. BMC Med. 2013 Sep 26;11:212. PMID: 24070457

[6] Dublin S.et.al. Use of opioids or benzodiazepines and risk of pneumonia in older adults: a population-based case-control study. J Am Geriatr Soc. 2011 Oct;59(10):1899-907. PMID: 22091503

[7] もちろん、糖尿病を放置せよ、と主張しているのではない。

[8] Selph S,et.al. Screening for type 2 diabetes mellitus: a systematic review for the U.S. Preventive Services Task Force. Ann Intern Med. 2015 Jun 2;162(11):765-76. PMID: 25867111

[9] Jansson SP.et.al. Mortality and cardiovascular disease outcomes among 740 patients with new-onset Type 2 diabetes detected by screening or clinically diagnosed in general practice. Diabet Med. 2016 Mar;33(3):324-31. PMID: 26516107