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思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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自殺をしたいと言う想いにどう向き合えばよいのだろうか、という考察を始めたい。

精神疾患と自殺]
精神科領域の医療において、考えるべき真のアウトカムとは何だろうか。もちろん、精神疾患症状の改善、例えば治療応答だとか、寛解と言うものが挙げられるだろうが、「疾患を抱えたまま生きていく」、というようなことが現実であろう。症状が寛解したとして、再燃リスクであるとか、では治療をここでやめて良いのか、という問題があって、治療を継続している限りは、それは精神疾患を抱え続けることとほぼ同義ではないかとすら思えるのである。

風邪やインフルエンザなど、急性疾患においては治癒という概念がある。脂質異常症や高血圧には合併症予防という明確な治療目的がある。では、精神科領域における治療とは何だろうか。もちろん、基本的には精神症状における対症的な治療であると言えるが、そこには治療応答だとか、寛解、というような概念が導入されていて、例えば風邪が治るのとは異質な治療目標だと言わざるを得ない。つまり、症状を抱えたまま、生きていくということを込みで治療評価がなされていることは、その現実を生きる患者にとってどのような問題を提起するのか、という視点は重要であろうかと思われる。

精神疾患は、精神症状、身体症状のみならず、様々なアウトカムをもたらすが、その一つが「自殺(企図や自傷行為を含む)」と言えよう。我が国における自殺者の推移は平成15年をピークに緩やかに減少傾向にあるが、年間で25000人近くが自殺している。

http://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/H27/H27_jisatunojoukyou_03.pdf

自殺の危険因子として精神疾患の他、社会的隔離、身体的障害、失業、家族間の問題、自殺の家族歴、絶望、監禁、季節変動、セロトニン作動性機能障害、不眠、小児期の虐待、ホームレス状態、戦争体験、経験への開放性が低い性格(好奇心が低い)、自尊心、青少年においては転居、虐め、インターネット使用、低BMIなどが挙げられる。(Psychol Rev. 2010 Apr;117(2):575-60PMID: 20438238)(Curr Opin Pediatr. 2009 Oct;21(5):613-9PMID: 19644372)(J Nerv Ment Dis. 2012 Apr;200(4):305-9. PMID: 22456583) 近年普及したソーシャルメディアも自殺に関連しているとの指摘がある。(Am J Public Health. 2012 May;102 Suppl 2:S195-200. PMID: 22401525)

自殺で死亡する人の約95%は何らかの精神疾患を有していると言われている。(Psychol Med. 2003 Apr;33(3):395-405.)特に多いのが気分障害(mood disorder)、薬物依存、統合失調症であると考えられる。(World Psychiatry. 2002 Oct;1(3):181-5. PMID: 16946849)

しかしながら、精神疾患を有している人の多くは自殺をしないという指摘も重要であろう。(Am J Psychiatry. 2004 Mar;161(3):444-51. PMID: 14992969)一見すると関連しそうな不眠と自殺の関連も明確ではない。(Int J Clin Pract. 2013 Dec;67(12):1311-6. PMID: 24246209 ただし自殺企図とは関連するので軽視できない問題ではあるが)精神疾患が有ろうが、無かろうが、「生きる価値なんて無い」と考えている人は自殺を企てやすいと言えるかもしれない。(Soc Psychiatry Psychiatr Epidemiol. 2002 Aug;37(8):351-6. PMID: 12195541)

程度の差はあれ、「生きる価値なんて無い」という思いは、多くの人が経験することではなかろうか。例え精神疾患を有していなくても、心の強さは人それぞれである。無理を無理と感じないこと、これは精神疾患なのだろうか。否、それはその人の優しさであろう。個別の感情と疾患を同一視することはできない。無理してでも生活を続ける中で、僕らの想像をはるかに超える苦痛に対して、おおよそそれほどの抵抗もなく生活し続けてしまうということがある。

その一つがdomestic violence(DV)を受け続ける人たちかもしれない。スウェーデンの大規模研究ではDVを受けている女性の自殺企図リスクはオッズ比5.59 (3.70−8.45)と報告されている。(Eur J Public Health. 2015 Jun;25(3):413-8. PMID: 25471557)

[自殺を予防することは正義なのか]

自殺を予防するというのは、精神科診療の真のアウトカムになり得るのだろうか。死にたいという思いは死ぬことの辛さよりも生きることの辛さが上回っている状態に他ならない。それほどの苦痛を伴ってまでも生きることにどんな意味があるのだろうか。「死にたい」というのは多くの場合で、ただ死にたいのではなく、そこには同時に生きることに対するつらさも内包している。

生きる意味、どんな生き方にも価値がある。しかし、そんな価値にさえも関心を持たない人たちに、生きろと言うのは、残酷なことなのかもしれない。誤解を招きそうな表現ではあるが、これはリアルな問題であろう。

医療従事者であればだれでも患者の心配はする。患者のことを本気で考えている医療者は部外者ではなく、当事者であろうと試みるであろう。しかし、月に1度や2度の対話でこちら側に戻ってこれるような場所にいない人も実際には存在するのだ。その人を本気で救おうと考えるのであれば、その人に一生寄り添う覚悟が必要である。時に自分の人生を犠牲にしてまでも一緒にいる覚悟が必要である。そういったことが出来ないのであれば、その人を救うどころか、むしろ中途半端な期待と絶望を感じさせてしまうことになりかねないのかもしれない。

ステマティックレビュー23件、メタ分析12件、ランダム化比較試験40件、コホート研究67件、環境調査または集団ベース調査22件を解析に含めた途方もなく壮大なシステマティックレビューによれば、学校ベースの認識プログラムの有用性が示されているものの、プライマリケア、一般的な公共教育、メディアガイドラインにおけるスクリーニングの自殺予防に対する効果を評価するためのエビデンスは不十分としている。(Lancet Psychiatry. 2016 Jul;3(7):646-59.PMID: 27289303)自殺予防の取り組みの探求は、単一の戦略では明らかにすることが難しいと結論されており、一人の医療従事者が、患者を思いやる心で自殺を予防する、ということが、いかに難しいことなのかを物語っている。

自殺は本人の意志に基づいており、それは本人にとっては、死の先に対して、今よりも少しだけマシな世界が垣間見えている。人は本来的には本気で死にたいと思うことはめったにないが、死にたくなさを超えるような絶望がこれから先も続くのだとしたら、そこから逃げたくなるというということは、死という問題を考慮しなければ、僕らの思考でも十分に理解できる話であろう。

死にたい、というのは人の大切な感情の一つだと思う。それは、うれしい、寂しい、楽しい、苦しい、と基本的には変わらない。じゃ、自殺に踏み切れない理由は何だろう、って考えてみる。その因子がその人の死にたいという感情とどうかかわっているのか、模索してみる必要がある。

誰かが一生支えなければ、生きていけなくなってしまう、というような状態になる前に、つまり、一度や二度の対話で、なんとかこちら側で生きていけると言うような生活が送れること、それで十分とは言えないかもしれないが、少なくとも治療応答だとか、寛解などと言った話よりも、よりリアルなアウトカムではないだろうか。

精神科領域において、”治る”というのは、つらさをつらさとして受け止めることができるようになること、無理を無理と判断できるようになること、一人で耐えるのではなく、他者に協力を得ることができるのであれば、他者を頼ることができるようになること、そういうことではないだろうか。

[自殺という視点から見る精神科領域における薬剤師の役割]

先に紹介した、(Lancet Psychiatry. 2016 Jul;3(7):646-59.PMID: 27289303)によれば、うつ病に対する効果的な薬理学的および心理的な治療は、自殺予防に重要であると結論されている。薬剤師の立場で考えられるのは、精神疾患に対する妥当な介入と妥当なタイミングについて、エビデンス情報に基づき、定量的に評価すること。少なくともそうした作業は患者との距離を動かしうる可能性を有しているように思われる。

自殺が全て救える死だとは僕は考えない。どんなに優れた医療者の助言であろうが、すべての自殺を食い止めることはできないと思う。自殺を食い止めるためにはどんな助言が必要か、という問いに対して、その内容の中身は大きな問題ではないと僕は答えたい。死にたいという価値観に対して、薬剤師としてできることは薬物療法を通じて、如何に患者との距離を保っていくかということ。そのためには、医療従事者を含むあらゆる関係者と連携するために論文情報の活用は必須であるように思われる。