中動態は医療にどんな可能性をひらくのか-言語化できない思いをとらえる
『意志を有していたから責任を負わされるのではない。責任を負わせてよいと判断された瞬間に、意志の概念が突如出現する。……つまり責任の概念は、自らの根拠として行為者の意志や能動性を引き合いに出すけれども、実はそれらとは何か別の判断に依存している』國分功一郎 中動態の世界 p26
國分功一郎さんの「中動態の世界 意志と責任の考古学 」 この本から受けた衝撃は、EBMやソシュール言語学に出会った時と同じ種類のものであった。
「する」/「される」をという世界を当たり前に生きている僕たちが見失っているもの、中動態の世界があぶりだしていくのは、そういう風景である。それは臨床を取り巻く世界にも溢れている。中動態の世界が、医療にどのような可能性をもたらすのか……。
医学書院 週刊医学界新聞に拙文を掲載していただきました。
Perspective 中動態は医療にどんな可能性をひらくのか『言語化できない思いをとらえる』医学書院/週刊医学界新聞(第3230号 2017年07月03日)