思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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情報と主体性、あるいは自由~地域医療ジャーナル【医療】×【情報】~

 地域医療ジャーナルに投稿させていただいたいくつかの論考で、情報と情動について考えてきた。情報化社会などとあたらめて言うまでもなく、膨大な量の情報渦巻く現代社会で、僕たちは何をよりどころに主体性や価値判断を追い求めていけばよいだろうか。

  あるインターネットの調査によれば、医師の9割が「一般人がネット検索で正しい医療情報を得るのは容易ではない」と考えているそうだ。

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  インターネットが普及し、小型の携帯端末でストレスなくブラウジングできる現代社会において、僕らはウェブメディアに垂れ流される情報の虜囚である。

 情報とは、そのコンテンツを作成した人の関心が編み上げたものである。だから僕たちは自分の主体性なんてとうに失っていて、コンテンツ作成者の意志に振る舞いを規定されている側面がある。つまり、情報源から得ることのできる世界の意味は、他者の個別の関心に依存していることを示唆している。僕たちの目の前に広がる世界というのは、つまるところ他者の関心が編み上げた一つの幻想にすぎない。

  僕たちの振る舞いは情報を踏まえた能動的な意志決定にあるわけではなくて、情報によりつき動かされた情動によって振る舞いを規定されている。

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  極度の情報化社会には主体性や意志、あるいは自由という概念の存在を思考する余地もない。それはそれで楽な生き方なのかもしれなけれど……。

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  ネットワークを基盤とした情報化社会がもたらしたもの、端的に言えば、それは「知識の外部化」である。そして、情報化社会は豊富な情報量を無償提供することによって知的格差を助長している。現代社会において情報は平等なものではなく、むしろ不平等なものだ。情報化社会が『知的』の概念を変えていく。

 

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 正しい情報はない。その時々で妥当らしい情報しかない。それでも、ごみのような情報の山から、妥当らしい情報を見つけることはしばしば難しい。必要な情報の多くはネット上にある。しかし、日本語だけではその情報にたどり着けない。言語の壁は読むことではなく、探すことにこそ存在する。

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