思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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【書評】ブラック・ドッグ

ブラック・ドッグ 葉真中 顕 (著) 講談社 (2016/6/15)

ブラック・ドッグ (講談社文庫)

 差別はいけないことだ。それは現代人にとって常識的な価値観であるが「差別」と「区別」との境界線はあまり明確ではないように思う。僕たちは人種差別はいけないことだと思っているけれども、自分と他者は明確に区別して行動している。

 人は人、自分は自分。そうやって境界線を作らなければ社会生活は営めない。むしろ、社会性を有する生き物だからこそ、区別という思考はなくてはならないものなのだろう。

 だがしかし、差別と区別は何かどう違うのか。差別はダメで、区別は必要であるとはどういうことか。差別にはある種の不当性が付きまとう、そう言うこともできるかもしれない。つまり取り扱いに差をつけるということだ。無根拠に不平等的に扱うことこそ差別であると。

 しかし、全てを平等に扱うことが絶対的に正しいことなのだろうか。子供と大人に平等の権利を認めた社会を想像してみれば、それが様々な問題を孕んでいることが分かるだろう。差別と区別を区別するという考えに惑わされてはいけない気がする。

 

 社会・文化的規範によって、何が不当なのかその価値観は変わるし、そもそも人と人との差別ではなく、生き物全体として考えてみたら「不当性」という概念では差別と区別の差異を明確に論じることは難しい。

 僕たちは、動物の肉を食べる一方で、動物に対して家族同様に接したりもする。食べて良い動物と、そうでない動物をどう選り分けているのだろうか。そこにこそ区別という言葉に包まれた、何がしかの差別感情が潜んでいるような気がする。

 

 ”差異”に関心を持つと、人は程度の差はあれ差別感情を抱く。それは「普通」とは違う何かであるかもしれないし、経済的な格差や社会的立場であるかもしれない。あるいは生物学的な「種」。

 

 この小説は、”命の重みに種の違いはない”と訴える過激派団体が引き起こしたテロと、それに巻き込まれた人々の悲劇が、登場人物たちそれぞれの視点で描き出されていく群像劇である。倫理をテーマとした作品は賛否分かれるところではあるかもしれない。しかし、プロローグの議論はあまりにも鮮やかだ。人は本当の意味で差別をなくせるか、と考えたときに、それが容易らしからぬ問題であることが分かるだろう。

 そして、物語の随所に描かれる端的な不条理さこそが、僕たち人間が目を逸らし続けた差別される側の視点である。不条理さの果てに、読み手に宿る倫理とは何か? 「ヒト」と「ケモノ」を隔てているのはどんな感情か? 「命の重み」という言葉が軽々しく用いられる現代社会だからこそ読まれて欲しい。