思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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必要な薬、不要な薬ー日経トレンディ2019年10月号「飲むべき薬 見直すべき薬」

 一般誌の取材依頼は、基本的にお断りすることが多かったのだが、ここ最近はすべて引き受けさせていただくことに方針を変えた。これまで一般誌から距離を置いていたのは、情報内容よりも表現手法に関心が高いメディアだから、という僕の勝手な認識によるところが大きい。

 どれだけ慎重に発言したとしても、その内容がうまく紙面に反映されなかったり、誇張された表現に変えられたり、あるいは都合の良いころだけを切り取られたりするのではないか、そうした懸念が心のどこかで引っかかっていた。しかし、そのような懸念があるにせよ、僕の意図が紙面に反映されないのであれば、それはやはり自分の言葉の至らなさの問題であり、メディアのせいではなく自分の責任なのだろう。

 加えて、いわゆる科学的と呼ばれるような論文情報に基づいた薬の情報を、広く世に発信していくことも薬剤師の役割ではないのか、そう考えるようになったことも大きい。

 日経トレンディ2019年10月号「飲むべき薬 見直すべき薬」と題して、薬の適正使用に関するテーマを取り上げている。僕もほんの少しではあるがコメントさせて頂いたので、興味のある方は手に取っていただければ嬉しい。

日経トレンディ 2019年 10 月号

 「飲むべき薬 見直すべき薬」と書かれてしまうと、やはり僕は身構えてしまう。「○○すべき薬」なるものがこの世にあるのだろうか?と問えば、端的には「ない」と、そう思ってしまうからだ。ただ、難しいのは「飲むべき薬 見直すべき薬」の判断は非常に文脈依存であり、つまるところ観点の違いでしか論じることができないという点だ。

 公衆衛生、つまり集団の健康問題からこのテーマを論じた場合、確かに「見直すべき薬」は多い。むしろ、見直さなくてはいけない薬ばかりかもしれない。他方で、医療、つまり個人の健康問題からこのテーマを論じた場合、「飲むべき薬」は医療者にとっても、患者にとっても少なくないのではなかろうか。

 本特集の取材では、いわゆる「ナゾ処方」についてお話させていただいたのだが、そのあたりは不採用になってしまったようだ。アデホスの漫然投与のような(謎のエネルギー補給)ナゾ処方といっても、そのナゾさ加減にグラデーションがある。

 僕は世の中の薬の多くは大体プラセボ薬である、なんてことを言っているけれども、それが故に、僕にとっては世の中の処方そのものが大体ナゾを抱えている。ただ臨床はナゾを抱えたまま回っているので、ナゾを解き明かす必要性こそナゾなのかもしれない。

 

 「観点を変えれば薬の効果はいかようにも記述できる」そのようなことを、東洋経済2019年6月号の取材時にお話しさせていただいた。

週刊東洋経済 2019年6/1号 [雑誌](クスリの大罪)

 薬剤効果の表現の仕方によって、患者や医療者が認識する健康問題のありようは大きく変化する。行動経済学フレーミング効果とも呼ばれるこの人間の心理傾向は、たとえ同じ効果サイズであっても、「無駄な薬」と「意味のある薬」を非合理的に選り分けていく側面がある。そんな一面について、本特集では相対危険と絶対差の印象の違いを図で掲載していただいた。

 この特集の取材時に、記者の方から「薬剤師の役割って何ですか?」という質問をいただいた。いろいろな役割がある中で、薬剤師は○○であるべき、なんて全く思わないのだけれど、役割があるとすればなんだろうか。むろん「患者のために…云々」や先に述べたとおり「情報発信」も大事な役割ではあるが、その時は「医師との関係性」という話をした。”患者のために医師と連携する” 薬剤師の役割はそういうところにもあったりする。

 週刊文春でも「減らせる薬」について、一般的な考え方を述べたが、あくまでも公衆衛生という立場での見解であり、個別の状況に落とし込めるかどうかについては慎重にならざるを得ない旨を強調させていただいた。

週刊文春 2019年 3/28 号 [雑誌]

 

 取材を受けさせていただく中で、自分の考えを言葉にする作業の重要性を再認識した。以前から言語化の重要性については十分に認識していたつもりではあったが、おそらく、単に言葉にするのではなく、他者とのコミュニケーションの中で言葉にすることが大事なんだと思う。自分自身の価値観だけでは、新しい世界が開けてこない。他者との会話のなかで新しい視点やこれまでにない価値観が見えてきたりする。貴重な機会をいただけたことに、改めて感謝を申し上げるとともに、既存の価値観にとらわれることなく、新しい言葉の創造に取り組んでいきたいと、今はそう思っている。

 現象を記述するのが言葉や図表でしかないのなら、それをどう表現すればよいのかを熟慮する必要があろう。健康問題という現象を、薬学という専門的な語彙で記述するのが薬剤師であるのなら、薬剤師はまぎれもなく表現者の一人である。