思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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[書籍]急に具合が悪くなる

 昨年末はプライマリケア連合学会で発表予定のデータ整理に追われ、そのまま年を越してしまいました。マウスをクリックしすぎで右手がやや腱鞘炎気味の2020年元旦。午前中には昨年末にインターネットで注文をしておいた書籍が届きました。本当に便利な時代だなぁと思いつつ、茶色の紙袋から書籍を手に取ります。タイトルは『急に具合が悪くなる』。哲学者 宮野真生子さんと、医療人類学者 磯野真穂さんが交わした20通の往復書簡です。
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急に具合が悪くなる

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急に具合が悪くなる [ 宮野真生子 ]

 

  著者のお一人、磯野さんご自身による書籍紹介記事は以下です。

note.com

 臨床現場で薬学的な判断を迫られる時、僕は薬の専門家として、自分の主観ではなく、いわゆるエビデンスに示された確率的数値を判断基準の一つとします。それはまさしく医学的正論と呼べるようなものかもしれません。

 僕自身は正論そのものについて「良い」「悪い」の次元で捉えられるようなものではないと考えています。データを解釈するのが人である限り、データに基づく正論もまた一つの意見でしかないからです。だから、僕の処方提案が医師の治療方針に受け入れられなかったとしても、僕の仕事は無駄だとは感じませんし、それで良いのだと思っています。

  エビデンスが示している数字は、良くも悪くも人の生活を大きく変えてしまう可能性があります。エビデンスは玉石混淆の情報をより分ける指針になり得ますが、同時に生活から穏やかさを奪う強い力を持っているから。だからこそ、公衆衛生的な視点と、個人の生活という視点の2つの位置から多面的な考察をしなければならないと、ことあるごとに強調してきました。僕たちは確率という数字そのものを生活の中で実感しているわけではないのです。

 健康を医療の目的としてしまうと、穏やかな生活が確率という数字の前に一瞬で消し飛んでしまうこともあり得る。本書を読んだ第一の印象は、僕がこれまで考えてきた生活と健康の差異ついて、とても鮮やかに、そして丁寧に言語されているということでした。言葉はこんなにも美しく、時に厳しく、そして心を揺さぶるものだったのかと、本を手にしながらため息がこぼれます。それは言葉を得る感覚に近い。そんな素敵な本との出会いは、読み終えることに対する一抹の寂しさをもたらします。

  臨床における意思決定と「中動態の世界」にも通じる議論展開。不運、不幸をめぐる議論の中で垣間見える偶然と必然、そして運命。他者にどうしても伝えたい、その想いが言葉に意志を吹き込み、文章に含まれる意味はより重層化してくる。それは言葉に出来なかったものさえ言語化されているのではないかと思わせるほどに……。改めて再読したいと思います。以下、僕が印象に残った、そして何度も繰り返し触れたいと思った文章を引用します。

 

『私たちは、確率という数字の中で生きているのではなく、火曜日の夕方から講義が始まるとか、5月19日に学会があるとか、そういう具体的な予定の中で生きている……その中に「急に具合が悪くなる可能性」を入れ込むとはどういうことなのか』急に具合が悪くなるP16 

『どこかの疫学者が作った数式に則る「かもしれない」という数字が、ある個人の日々の在りようを一変させる、未来の可能性を封じてしまう』急に具合が悪くなるP21

リスク管理のすばらしさ、重要さが強調される今日、このようなささやかな一つの人生の変化は数字という圧倒的に輪郭がはっきりした客観的とされる存在の前に簡単に吹き飛ばされてしまう』急に具合が悪くなるP21

『自分の人生がまったく別のものであった可能性を考えてみることは、私が自分の人生というものを引き受けるうえで、大切な思考の手がかりであるような気がしています』急に具合が悪くなるP24

『医療者が「患者の意思を尊重」という時、その患者の意思の中に、医療者の意思が相当に組み込まれている』急に具合が悪くなるP40

『結局のところ、何かに動かされるようにしてしか決めることができないのなら、選ぶとは能動的に何かをするというよりも、ある状態にたどりつき、落ち着くような、馴染むような状態』急に具合が悪くなるP51

『一人で正しく選択するのだというプレッシャーをまず解除することで患者も医療者も楽になる』急に具合がわるくなるp75

『いまを具体的に生きる人たちが、手元にあるささやかなモノのなかにやってきて欲しい未来を見出し、そこに願いをかける。そこに力がないはずがない』急に具合が悪くなる p83

『人は合理性に則って生きようとする。しかし、どうしても無理なことがある。そのときは、「飛んでみろ」』急に具合が悪くなるp90

『最終的にすべての物事の根本には、なぜいまこんなふうになっているのかを説明することができない謎が残る』急に具合が悪くなる p93

『誰のせいかわからない不幸が、無理やり誰かのせいにされたり、自己責任にされたりする状況が度々みられる』急に具合が悪くなるP105

『不運という理不尽を受け入れた先で自分の人生が固定されていくとき、不幸という物語が始まる』急に具合が悪くなるP117

『私が言葉遊びを感じてしまうときというのは、言葉にしやすい部分だけを、現象から抜き取って、それが本来の現象の在り方であるかのように人文・社会学者が胸を張って語ってしまうとき』急に具合が悪くなるp129

『余分なものは、余計なものじゃなくて、会話の広がる余地を作る。』

急に具合が悪くなるp138

『自分という存在もそんな確かなものじゃなくて、相手との関係のなかでその時々に変わり、そのつど気づかれるような、もっと曖昧なもの』急に具合が悪くなるp140

『ひと一人にとっての時間とは、物理的時間と、その人が残した踏み跡の深さをかけあわせたもの』急に具合が悪くなるp206

『もし運命というものがあるのなら、それは生きる過程で降りかかるよくわからない現象を引き受け、連結器と化すことに抵抗をしながら、その中で出会う人々と誠実に向き合い、共に踏み跡を刻んで生きることを覚悟する勇気』急に具合が悪くなる p215

『選択とは偶然を許容する行為であるし、選択において決断されるのは、当然の事柄ではなく、不確定性/偶然性を含んだ事柄に対応する自己の行き方……偶然を受け止めるなかでこそ自己と呼ぶに値する存在が可能になる』急に具合が悪くなるp229

『偶然はそれだけで自然に生まれてこない。偶然を生み出すことが出来たのは、自然発生だけでなく、そこに私たちがいたからです』急に具合が悪くなる p234