社会契約的医療論~一般意志2.0を実装したもう一つのEBM~
[行動原理とは何か]
薬剤師の臨床現場における行動原理とは何か。そもそも行動原理とは「人間の行動を基本的なところで規定しているもの」、パソコンで言えば、Windowsなどのオペレイティング・システム(Operating system)と言える。そして行動原理は「なるほど、たしかにその原理に沿って考えれば、うまくいきそうだな」という普遍洞察性を備えている1)
[EBMが目指したもの]
周知のとおり、EBM(Evidence-based Medicine)は5つのステップからなる行動指針であり、これはすなわち臨床現場における行動原理であるともいえよう。その詳細についてここでは触れないが、5つのステップにおいて、目の前の臨床疑問を整理し、最新かつ妥当性の高いエビデンス(臨床医学論文情報)を踏まえ、患者の思い、患者を取り巻く環境、そして医療者自身の経験という4つの要素を統合し、臨床判断を決定し実践するという原理を規定している。2)
しかしながら、薬剤師のEBM実践においては、常に「処方箋」と言う“文脈(コンテキスト)”や、患者自身の“ナラティブ”によって、EBMの4要素をバランスよく統合できないという事態が起こりうる。EBMはエビデンス至上主義というような、そういった誤解を受けてきたことは事実である。しかし一方でエビデンスは判断材料の一つに過ぎず、他の要素を十分に考慮することこそ肝要であると強調し続けてき結果、実際に重視されているのはエビデンスではなく、文脈やナラティブ(患者自身の欲望)であることまた事実であろう。1つのランダム化比較試験では結論できない。観察研究は因果を示すものではない。メタ分析には恣意の余地がある。などなど…。そう、1つのエビデンスは何とでも否定できる。
バルサルタンやDPP4阻害薬、は未だに処方され続けており、僕らは、そういった、文脈やコンテキストの中において既に行動が決まっている。いや、文脈やコンテキストによって決まるというよりはむしろ、文脈やコンテキストによって決めるしかないというのが現実である。文脈は判断プロセスの選択肢を奪う。
[全体を取り扱う方法を考えたい]
EBMが重視していないものは一体何か?患者個別の問題を取り扱うという原理を備えたEBMは、患者全体の問題ついては関心が向けられていない。ナラティブやコンテキストから僕たちの行動原理を切り離すためには、個別の問題ではなく全体を取り扱う方法を考えなくてはならないだろう。社会全体において、医療というシステムが妥当に維持されるために必要な、最低限のルールとは何か?またそのルールの妥当性を判断する際に医療者に必要な原理とは何か?そのような問いに、ルソーの社会契約論という考え方、さらにそれを現代の情報化社会に落とし込んだ、東浩紀の「一般意志2.0」3)という思考プロセスを導入し、薬剤師の新たな行動原理を模索したい。
[社会契約説とは]
社会契約説という思想のモチーフはイギリスの哲学者 トマス・ホッブズ(1588年~1679年)のリヴァイアサン構想がそのはしりであろう。ホッブズが生きた時代は、僕らの価値観から見れば、決して良い時代ではない。1640年代後半は絶対王政期と言われる。「王権神授説」が君主による専制政治を正当化し、重税などの悪性が当たり前に行われていた時代である。そして君主による専制政治の妥当を目指す思想的背景から社会契約説が生まれた。
[ホッブズの社会契約説]
ホッブズによれば、人間は自然状態において、闘争状態に陥るとし、ここに有名な「万人の万人による闘争」という考え方が生まれる。そこで万人の権利を放棄し、強力な権力者(リヴァイアサン)へと権利を譲ることで、平和社会を享受するという思想を構想したのだ。現代風に言えば、核兵器に担保された世界平和かもしれない。ホッブズのこの思想は、王権神授説は神の意志を前提としている点で大きく異なるのだが、絶対王政を基礎づけるものとして批判もあった。
医療において、強力な権力者リヴァイアサンを構想することは、人間の倫理問題にもかかわろう。リヴァイアサンの規定する人間しか医療を受けられない社会、それもまた興味深いものがあるが、現代日本社会には到底受け入れられまい。
[ルソーの社会契約説]
社会契約説においてフランスの思想家ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778年)の考え方は興味深い。彼は「国家を作った目的、つまり公共の幸福にしたがって、国家のもろもろの力を指導できるのは、一般意志だけだ」と述べでいる。4)国家を根本的に支える原理は、「一般意志」であるというのだ。そもそも「意志」とは何か。意志は欲求をコントロールする能動的なものではない。意志に先立つ欲求こそが意志の原型を形作るのだ。すなわち熟慮の末の最後の欲求が意志に他ならない。
ルソーは意志について以下のように述べている。
「全体意志と一般意志の間には、時にかなり相違がある。後者は共通の利益だけを心掛ける。前者は、私の利益を心掛ける。それは、特殊意志の総和であるにすぎない。しかし、これらの特殊意志から、相刹しあう過不足を除くと、相違の総和として、一般意志が残ることになる。(ルソー 社会契約論 第二編 第三章)」
さて、どういう事だろうか。簡単に要約するならば、ルソーは「意志」を3つに分類しているのだ。
・特殊意志:個々人の意志=個人の最後の欲求そのもの
・全体意思:特殊意志の総和=最後の欲求の総体
・一般意志:民主的な手続きを経て見いだされた公共的意志
特殊意志、全体意思はともかく、ルソーの主張通り、国家を根本的に支えるのが一般意志だとして、では一般意志とは具体的に何なのであろうか。これだけ見ても実に抽象的でありわかりにくい。
[一般意志2.0]
東浩紀(1971年~)は「一般意志2.0」の中で、一般意志とは話し合いで解決した意志のことではなく、「意志が互いに差異を抱えたまま公共の場に現れることによって一気に成立する」と述べ、また「差異の和とは、スカラー(大きさのみをもつ量)の和ではなく、ベクトルの和(大きさと向きを持った量)を意味するのだと理解すれば、ルソーの記述にはなにも曖昧で神秘的なところはない」と述べている。3)東は分かりやすくに述べたつもりだろうが、それでもわかりづらい。
簡単に言えば、「一般意志とは均されたみんなの望み」と考えることができるという事だ。そしてこの「均されたみんなの望み」は、現代の情報化社会においては、集合的無意識データベースとしてネット上に立ち現れる。これを「一般意志2.0」と呼ぶ。2)
[Amazonに垣間見る一般意志2.0]
Amazonで書籍を購入したとしよう。その購入アクティビティは僕たちが意識しようがしまいが、データベースに蓄積される。Amazonを利用した膨大なアクティビティを解析し、それをAmazonのホームページ上で駆動させている。欲しい本を選べば、それに関連する書籍がずらりと並んでいるのは、Amazon利用者の一般意志と言える。ここには個人的な広告や宣伝と言った特殊意志はもはや反映されない。
[医療における一般意志2.0]
では医療アクティビティはどうだろうか。医療における国民の全体意志と言えるものは数え上げればきりがない。国民の健康への認識の高まり、偏ったヘルスリテラシー、予防接種よりも病気の早期発見を推進する活動、医療アクセス向上への政策と福祉の充実、薬価の高い薬剤のプロモーション強化、感染症流行に対するメディアの反応、健康診断、メタボ健診、乳癌検診の推進、薬局店頭での糖尿病スクリーニング。ここには健康長寿こそが「善」という思想が基盤としてあり、健康欲望の達成を目指している。
医療における全体意志の先にあるものを見てみよう。医療アクセスの向上、サービス業化される医療、このような国民の全体意志が推進してきたものは、国全体の医療運営に対する意識の無意識化を招いている。医療はあって当たり前。まるで水道から蛇口をひねれば水が出るように、夜間でも急患センターに行けば薬をもらえる。そして国民の無意識的医療アクティビティの総体を医療における一般意志2.0と呼べないだろうか。そしてさらにそれは経済的データ・疫学的データとして可視化されている。
国民一人あたりの医療費を見れば明らかなように、医療費は明らかに増加しているが、医療費が増えるような医療・福祉政策は相変わらず続けられている。しかし日本人の完全生命表を見る限り、費用に見合うだけの有意な健康長寿が達成されているとは到底思えない。そして既に、我が国は世界的にも長寿国となっている。確かに高齢化の影響は大きい。しかしながら、生きるための医療が延々と続けられ、死ぬためにある医療と言う選択肢がなくなりつつあるということも要因の一つとは考えられないだろうか。その実態は医療における一般意志2.0として抗菌薬乱用の実体、ポリファーマシーの問題なども浮き彫りにさせ、潜在的に不適切な仕方で医療費が使われていることが明確となる。
[EBM2.0の可能性]
このような医療における集合的無意識なデータベースは主に人為的な介入(欲望関心:特殊意志)が伴っていない観察研究や医療経済データによって可視化される。ルソーが「一般意志は、何らかの個人的な特定の対象に向かうときは、その本来の正しさを失ってしまう」4)と述べているように、ランダム化比較試験は最も効果の出そうな対象を組み入れ、そうでないものは外すという、特殊意志や全体意志の入り込む余地がある。
したがって社会全体のおける妥当な医療を維持するためには、関心相関の伴わない、観察研究や医療経済データから得られる示唆を学び続け、その知見を踏まえて、社会と向き合うことを要請されると言えまいか。ルソーは「一般意志は常に正しいが、それを導く判断は常に啓蒙されているわけではない」と述べている。4) Googleでトンデモ情報がトップに検索され、マスメディアからは適当な医療情報がばらまかれ、そんな世の中だからこそ、薬剤師の役割がある。医療における一般意志2.0を実装した新しい行動原理をEBM2.0と名付けよう。薬剤師によるEBM2.0の実践により、現場だけでなく、ブログメディアやソーシャルメディアを活用した、僕たちのテクストの総体が社会を変える可能性を信じたい。
EBM2.0という行動理論はこれまでのEBMや価値に基づく医療Value-based Medicine;5)、あるいは現象学的医療から導かれる行動理論とは大きなギャップがあるかもしれない。しかし、EBM2.0とEBMあるいはVBM(Value-based Medicine)のギャップが将来的に小さくなるような、そんな社会認識構築もより良い医療を目指すための一つの方法論ではないかと思う。
[参考文献]
1) 西條 剛央 構造構成主義とは何か―次世代人間科学の原理 北大路書房2005.4
2) Haynes RB,et.al. Physicians' and patients' choices in evidence based practice. BMJ. 2002 Jun 8;324(7350):1350.
3)東 浩紀 一般意志2.0 フロイト、グーグル 講談社 2011/11
4)J.J.ルソー 桑原武夫 訳 社会契約論 岩波文庫1954/1
- 作者: J.J.ルソー,桑原武夫,前川貞次郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1954/12/25
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5) 患者の選好・価値観に基づく医療(Value-based Medicine; VBM)