差異の薬学~薬のデギュスタシオン~
[差異の世界で生きる]
僕たちは差異のない世界には住めません。しかし、そのことに気が付いていない、という事は往々にしてあります。僕たちの体を構成している細胞の一つ一つ。細胞内と細胞外のイオン濃度に差異があるから、生命活動が駆動しています。そして僕たちが住んでいる世界、ここにも差異が満ち溢れています。
例えば、犬とは何か、猫とはなにか、僕たちはそのような仕方で物の名前や概念を覚えているわけではありません。犬でないもの、猫でないもの、僕たちはそのように犬や猫を思考しているのです。つまり、これが犬だ、あるいはこれが猫だと言うようなものはこの世界に独立して存在するわけではないのです。犬を犬足らしめている絶対的な何かがこの世界に独立して存在しているのでなく、僕たちはただ犬でないもの、猫でないものとの差異の間で犬や猫を思考しているのです。
色の認識はより身近に感じられると思います。例えば赤を認識するとき、薄い赤~濃い赤まであって、どれが「ほんとう」の赤なのか、絶対的な基準などはありません。「これが赤だ」というクオリアは人それぞれ異なるだろうし、君が思考している赤と僕が思考している赤が全く同じではないでしょう。それでも君と僕が赤を分かり合えるのは、赤でないものとの差異を知っているからに他なりません。
この薬とあの薬は何がどう違うのか。例えば、高血圧に用いられる薬でも様々な種類があります。糖尿病治療薬はここ数年で、DPP4阻害薬、SGLT-2阻害薬と新たなカテゴリの薬剤が誕生しました。同一疾患に対する治療薬において、複数選択肢がある中で、どの薬を優先的に用いるのか、と言う問題に、僕たちは薬剤師の観点から「薬の差異」を考えます。化学構造式の差異。薬理学的作用機序の差異。そのような理論メカニズムに基づく差異の体系の中で思考することは、決して大きな誤りではないかもしれません。しかし、科学理論体系は臨床における現象を必ずしも説明し尽くすものではありません。
[現象を追う]
科学理論と実際に僕たちに迫ってくる現象は同一のものではありません。科学は現象をどうにか説明しようと発展し、それをある程度達成できているようにも見えます。しかし、僕たちの科学的世界像は、例えば宇宙人から見れば、なんと意味不明な理論である事か、と言われてしまうかもしれません。
繰り返しますが、科学的世界像は、現象をうまく説明しようとして、発展してきました。しかし現象そのものは人間の感覚器官を通してしか構成されえないのです。真に普遍的で正しい科学的世界像など、人間には原理的に知覚しようがなく、人間か感じ得る現象をうまく説明できる理論が、近似的に真の科学世界像として認知されているにすぎません。
理論が現象に先立つ、歴史はそのような偏見のなかを進むことで僕たちの科学的世界像の常識を編み上げてきました。だから薬の差異を考えるときも、僕たちは化学構造式や薬理学理論に頼ってしまいがちになります。しかし、そろそろ理論に先立つ現象を見据えないといけない、そう感じるのです。理論的差異が臨床的差異を生み出すわけではないからです。だからこそ僕たちは理論的差異だけでなく、臨床的差異から薬の差異を考える、そんな作業が必要なんだと思います。
[薬のデギュスタシオン]
薬の『「あれ」と「これ」の違いを臨床的に吟味し,どのように使い分け,あるいは差別化するのか比較検討している』ワインのテイスティングをするように薬と薬の差異を考える本。
全51トピック中、僕は8トピックを執筆させていただきました。
無名の僕を執筆者に起用してくださった、編集者の岩田健太郎先生、そして僕のEBMの師であり、共著者でもある名郷直樹先生、また関係者の方々にあらためて感謝申し上げます。貴重な機会を誠にありがとうございました。