思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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ポリファーマシー問題…問題が問題なのかもしれない。

今日は、ポリファーマシー問題の複雑性について話をしてきた。

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この問題は世間ではわりと単純化されやすい。「絶対に飲んではいけない薬」などのテーゼに代表される医療否定論は世間の注目を集めやすいためか、巷の週刊誌で特集が組まれるなど、その社会的影響は決して小さくない。だから問題を複雑化することで、原理主義的な思想をある程度排除できるようにも思えるし、この問題自体は確かに単純な視点で語ることは難しいようにも思える。

しかし、ポリファーマシーという問題を考え続けて、ふと思うのは、問題を複雑化しているのは僕自身ではないかという事だ。単純化することは決して正しくないかもしれない。しかし複雑化することもまた大切なことを見失っているのではないだろうか。

『複雑な問題に対するアプローチというのは、諸刃の剣だ。そうしたアプローチを始めると、すべての問題を複雑化してしまう可能性がある。もちろん単純な問題に対するアプローチも、すべての問題を単純化してしまう危険をはらむ点で同じである。(センター長日記、三たび:複雑な問題と単純な問題)』

師匠の言葉にはいつもはっとさせられる。ポリファーマシーというよりその問題を問題化してしまった功罪というものがあるのかもしれない…。

[問題は“私”の問題である]

世界的に注目を集めているように思うポリファーマシー問題であるが、その定義は曖昧である。[1]つまり、ポリファーマシーという問題そのものが外部世界に独立自存するわけではなく、この問題は概念として僕らの頭の中にあるのだ。ポリファーマシーを問題化したのは、結局は「私」の問題だ。そして、ポリファーマシーという概念が現れたとき、僕にはたまたまEBMがあった。そして僕にはポリファーマシーが複雑な問題に見えた。それ以上でもそれ以下でもない。

『人間が向き合う以上、認識や解釈の問題を抜きにして、単純、複雑といっても、何も明らかになってはいない。認識や解釈はアプローチの方法の反映に過ぎず、問題そのものを表してはいない。(センター長日記、三たび:複雑な問題と単純な問題)』

『無理やり問題を探してはいけない。そこにある問題に向き合うこと。単純なアプローチが可能でないかどうか考えること。複雑なアプローチでかえって状況を悪くする危険も考慮すること。(センター長日記、三たび:複雑な問題と単純な問題)』

問題なのはポリファーマシーを問題化してしまったところにあるのではないか。僕たちの仕事は多分こういうことではなくて、患者個別により妥当な薬物治療を模索することだけではないか。ポリファーマシーが問題なのではなく、その問題が問題なのではないか。問題の複雑性を解体していくことこそが、この問題の唯一の解決策なのかもしれない。複雑性をどう解体するか、そのプロセスのなかに大切なことがあるように思う。

ポリファーマシー問題への関わりと医療否定論の境目は実は曖昧だということ。薬剤師としてどのようにこのテーマと関わればよいのかという問題は常に医療否定論を肯定しかねない立場にあるということに自覚的でいたい。大切なことはむしろポリファーマシーという問題を明確化しないことではないだろうか。薬剤のリスク/ベネフィット、患者の価値、医療者の思い…。必要なのはEBMを実践し続けること。

[参考文献]

[1] Maher RL, Hanlon J, Hajjar ER. Clinical consequences of polypharmacy in elderly. Expert Opin Drug Saf. 2014 Jan;13(1):57-65. PMID: 24073682