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医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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『理論』と『現象』(2)

科学理論が措定する実態を僕たちはナイーブに観察できない。したがって、僕らは認識しうる現象と客観的知識の整合性をもってして実態と対応してるであろう理論を暫定的に真理として解釈しているに過ぎない。以下、記事を参考にしてもらえれば幸いだが、それでも、暫定的真理と言う概念を理解しがたいという意見はむしろ常識的な価値観であろう。

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本稿では理論と現象についてカール・ライムント・ポパー(1902~1994)が展開した認識論、いわゆる3世界論を手掛かりに考察を深めていく。

[ポパーの3世界論と科学理論]

僕たちの知識や常識的価値観、芸術的表現などは言語活動により思考され、高度に抽象化された理論である。もちろん科学理論とて例外ではない。この世界のモノとモノの同一性を記述することで物理法則を思考すると言うのは抽象化された理論であり、科学理論そのものがナイーブに観察できる仕方でこの世界に独立自存するわけではない。ポパーはこのような客観的知識を、物質的な世界(世界1)、僕たちの認識のような主観世界(世界2)とは別の次元(世界3)に存在すると考える

科学理論が措定していると思われる実態そのものは世界1上に存在していると考えられるが、僕たちは人間の認識能力を用いて実態を現象として知覚する。この知覚された現象は主観的なものであり世界2上に存在することは疑えない。そして現象の同一性を記述した理論は世界1ではなく、世界2で知覚された現象の同一性をコトバにより表現したものなので世界3上に構成されるように思われる。また僕たちは世界3上に構成された科学理論を客観的知識として学び、世界2を豊かにしていくことができる。

世界3上にある客観的知識としての科学理論を世界2上で理解すると、世界1からナイーブに認識する世界2上の現象をうまく説明しているように感じるので、世界3上に構成された科学理論が世界1の実態を措定していると錯覚する。つまり世界1には世界3上に構成されたコトバによる同一性=科学理論が確かに存在するという信念を引き起こすのだと言える。

僕らがナイーブに観察できる現象は世界1にあると考えているわけだが、その現象の同一性を記述した科学理論は世界3に存在する。実体(世界1)と理論(世界3)は認識主体(世界2上)で接続されるのであって、実体(世界1)と理論(世界3)が直接的に接続されているわけではないことに注意されたい。

[未開の惑星のような地球で…] 

さてここで人類が滅亡したとしよう。3000年後の世界。未開の惑星のような地球で、どこかの宇宙人が住み着いたとしよう。そして、かつて人類が記述した科学理論の文献を解読に成功したと考えてみてほしい。宇宙人たちはその科学理論をどう解釈するだろうか。つまり宇宙人の世界2には僕たち人間の客観的知識(世界3)が世界1を措定していると考えるだろうか?認識主体が変われば、世界2だけでなく、世界3も変わりうる。僕たちの客観的知識は宇宙人にとっての客観的知識ではない。世界の切り分け方も異なれば、その表現方法も異なるだろうし、科学理論にしても、僕たちが認識するように実体を捉えていないかもしれない。つまり感じ得る現象そのものが異なるのだ。

それが何を意味しているのか、理解できるだろうか。世界2を抜きに世界3と世界1は接続できない。つまり、世界3と世界1との対応が関係性だけを示しており、実態を措定するものではない、ということである。世界2が異なれば世界1と世界3をつなぐ形式が異なり、異なる形式同士は共約不可能を有する。

これは同じ人類でも歴史上引き起こされた事実である。世界3に規定された世界2をトマス・サミュエル・クーン(1922~1996)はパラダイムと呼んだ。(Kuhn.1962) パラダイムが異なれば、つまり認識の仕方が異なれば、世界3の理論は全く異なってしまう。天動説と地動説。コペルニクス的転回はまさにこのことを物語っているとは言えないだろうか。

しかし世界1に何か大きな変化が起きたわけではない。天動説だろうが地動説だろうが、実態としての世界がひっくり返るわけではない。これはつまり、理論と現象は認識主体が生み出した関係性に過ぎないことを示している。僕らの認識(世界2)にとって、理論(世界3)は現象(世界2)をうまく説明しているように思うだけであり、同じ実態(世界1)を宇宙人の認識(世界2)は別の理論(世界3)で表現するだろう。理論が究極の真理ではなく暫定的真理であるのはおおよそこのような理由からである。

人は誤りうる。世界2は常に誤りうるが、そこから構成される世界3は世界2のあり方を規定し続ける。世界3に無批判であるかぎりに僕たちの思考は世界3に支配されてしまうということをポパーはよく理解していた。