思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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WELQ問題から学ぶ医療情報の「正しさ」とは何か~トンデモ医療と妥当な医療の境界~

 昨年末、DeNAが運営する医療系情報サイト「WELQ(ウェルク)」が、信憑性の乏しい情報を発信したことなどが問題となって話題になりましたね。無断で記事の転用までしていたそうで、このサイトは無期限の中止に追い込まれることになりました。

dena.com

このテーマに関して同じ医療情報系メディアの日経メディカルオンラインに、2017年1月16日付で『WELQと日経メディカルはどこが違うのか』という記事が出ていたので読んでみました。

 『WELQと日経メディカルはどこが違うのか』

 この記事を閲覧するには無料会員登録が必要なので、引用はあえてしませんが、『WELQに書いてあることは間違っていて、日経メディカルに書いてあることは正しい(訂正可能性はあるけれど)』というニュアンスの内容が書かれていて、とても興味深いなぁと思いました。もちろん、僕は日経メディカルのこの記事を批判するつもりはありませんけど、やはり気になったのが、医療情報における「正しい」って一体なんでしょうか、ということです。医療情報の「正しさ」というのは実はかなり曖昧な概念なんです

 [トンデモ医療と、医学的に妥当な医療の線引き問題]

EBM(evidence-based medicine)は「科学的根拠に基づく医療」なんて訳されるわけですが、では「科学的根拠に“基づかない”医療」なるものが存在するのか、と言われると、その存在を明確に否定することは難しいように思います。例えば、本邦でも風邪に対して、セフカペンピボキシルのような第3世代の経口セフェムが非常に高頻度で投与される[1][2]わけですが、これは科学的な医療といえるのでしょうか。

明らかに非科学的な医療を”トンデモ医療”なんていうことがありますが、風邪に対する抗菌薬は、医学的に妥当な医療なのか、トンデモ医療なのか、と考えたときに、その明確な区分を付けることがなかなか難しいとは言えないでしょうか。

世間では怪しげな民間療法をトンデモ医療として批判する人がいますけど、トンデモ医療と医学的に妥当な医療の境界を見定めることは、突き詰めて考えると難しいのです。こんなふうに言っていると僕がトンデモ医療の擁護者のように思われてしまいそうですが、僕はバリバリのトンデモ医療否定論者ですので誤解なきように。ただ、トンデモ医療と医学的に妥当な医療との線引きはなかなか難しいと主張しているのです。

[歴代の哲学者たちでも明確な答えが出せていない問題…]

このテーマは科学と疑似科学の線引き問題と構造上は同じです。この線引き問題については伊勢田 哲治さんの疑似科学と科学の哲学』が大変参考になります。

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この書籍は科学とニセ科学の線引き問題をテーマに、科学哲学を体系的に学べる本です。哲学を学んだことがない人でも、かなり楽に読み進めることができる入門書です。また入門書に留まらず科学的思考とは何かについて学べる本格的な哲学書でもあります。この本を読んでいると、何を持って科学的と称するのか、その絶対的な視点は無く、疑似科学と科学を線引きする唯一の基準など存在しないことがよくわかります。

もちろん禿げ頭理論といって、明らかな禿と明らかなフサフサは明確に異なると言えますが、フサフサから髪の毛を1本ずつ抜いて言って、ではいったいどこから禿げ頭になるのか、その境界を設定する明確な基準が無い、ということなんですね。

医療に関するブログメディアを複数運営する僕の経験からすると、今回のWELQと日経メディカルの差は、記事内容の『正しさ』という問題で区別できないように思います。誤解を招きそうな表現をあえて使いますが、正しい医療情報なんていうのものはこの世界に存在しません。

そんなことないでしょう、と思われる方は、客観的知識の正しさを保証するものとは何でしょうか?と考えてみてください。進化論は科学的で、創造科学は非科学的とするその根拠は何でしょうか。きちんとした科学的理論の存在があるか否かでしょうか。理論的知識の真理性は常に暫定的であり、訂正可能性を有することは、論文情報を読む必要性と絡めて以下のnoteにまとめてあります。

note.mu

[カール ポパーの批判的合理主義から得られるヒント] 

トンデモ医療と医学的に妥当な医療の線引きについて、僕は科学哲学者のカール・ポパー(Karl Raimund Popper,1902~94)の批判的合理主義という考え方に一つのヒントを見出しています。[3]

 批判的合理主義とは、科学探求を推測と反駁の継続的なプロセスと捉える考え方で、非科学と科学的な言明の境界を反証可能性により定義しようと言うものです。ポパーは「客観的知識」という著書の中で以下のように述べています。

『合理的観点からすれば、われわれはいかなる理論にも「信をおく」べきでない。なぜなら、いかなる理論も真であることが明らかにされなかったからであり、真であることが明らかにされえないからである。…しかしわれわれは行為のための基礎として最も良くテストされた理論を優先的に選択すべきである』(カール・ポパー,客観的知識 p27~28)

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つまり、理論において絶対的信頼性など存在しないのだから、経験的にもっともよくテストされた理論を選ぶのが合理的であろう、とポパーは述べているのです。トンデモ医療と(医学的に)妥当な医療の境界は、この合理性のもとに区別されるべきではないでしょうか。

医療情報サイトが主張している内容の理論的背景が、臨床医学に関する疫学的研究による反証に耐えられないものであれば当該理論の脆弱性が明らかになります。

 大事なのは経験的にテストされ、その反証に耐えうる理論的背景に基づいて医療情報が構築されているか否かです。つまり、発信されている医療情報が、しっかりと一次情報(臨床医学で言えば、その分野の原著論文など)に言及できているかどうか、それを適切に引用し、現時点で最も妥当な記事にする努力が垣間見れるかどうかが肝要です。さらにライター自身による記事の批判的考察も必要でしょう。今一度、自分自身が確信している「正統性」について疑ってみる、その作業が大切なのだと思います。

『すべての理論は仮説である。すべての理論は覆されうる。』(カール ポパー,客観的知識 p37)

僕は引用文献の提示が無い記事について、WELQとの構造上の差異を明確に見出せないのです。日経メディカルだからまともなことを言っている、というのはある意味で権威主義的な考え方だと思います。[4] 

[脚注]

[1] Higashi T, Fukuhara S. Antibiotic prescriptions for upper respiratory tract infection in Japan. Intern Med. 2009;48(16):1369-75. PMID: 19687581

[2] 山本 剛史、青島 周一、染谷 智行他、一次救急医療における風邪処方の患者満足度調査.日本プライマリ・ケア連合学会学術大会抄録集 2016(7) p298

[3] ポパー自身による著作は、初心者にとってはややヘビーですが、彼の批判的合理主義は科学史、科学哲学の潮流の中で考えると非常に理解しやすいと思います。お薦めは以下の書籍です。

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[4] 一応念のため。。もちろん日経メディカルの記事がインチキである、と僕は主張しているのではありません。

 

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