思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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学会ではワークショップやシンポジウムの開催は不要なのか?

日本の学会って、一般演題よりも、シンポジウム・ワークショップのほうが演題数が多く、発表時間が長い。何の結論も出ないようなシンポジウムやワークショップをいくらやってもしょうがない。

このような意見をツイッターで目にした。学会とはおそらく学術大会のことを指していると思われる。学術団体が年位1回(もしくはそれ以上)開催している、学問や研究の従事者らの研究成果を公開発表し、その科学的妥当性をオープンな場で検討論議する場と言ったところか。以下、単に学会と言う。

学会では、その会期中に教育講演や、シンポジウム、ワークショップが企画されることが多い。僕が所属する日本プライマリ・ケア連合学会でも毎年、学会会期中には多数のワークショップやシンポジウムが企画・運営されている。

しかし、こうしたワークショップやシンポジウムは開催しても意味のないものなのか、何の結論も出ない時間の無駄なものなのだろうか。学会内外でワークショップをいくつか企画し、運営してきた僕にとって、この意見はやや的を外しているように思われるので、反論を加えておく。

確かに、学会を学問や研究の従事者らの研究成果を公開発表し、その科学的妥当性をオープンな場で検討論議する場と捉えるのならば、シンポジウムやワークショップは、そもそも不要かもしれない。しかしながら、学会の開催意義そのものが代わりつつある時代だと僕は感じている。以下の主張にはまずはそうした前提がある。

学会で発表されるコンテンツの質がそれほど高くないという指摘は随所でなされている。そもそも、研究なのか、活動報告なのか、その境界があいまいな演題も多い。学会で採択される演題には明確な査読システムが存在していないことも多く、ポスターにせよ、口頭発表にせよ、ある程度形になっていれば採択される。したがって、いくらシンポジウムやワークショップを無くしたところで、質の高いコンテンツが増えるとは考えにくい。

もちろん、演題発表の質を高めていく、こうした学会の方向性が重要視されても良いかもしれない。しかし、学びの形式として学会は既に時代遅れのものとなっている。どういうことか。

あくまでプライマリケア領域での医学系、薬学系学会に関してということになるが、学会に参加して何かを学ぼう、解決しよう、という時代ではなくなりつつあるということである。ここで結論を先取りすれば、「学会は”検索キーワード”とのつながりを作るために行くもの」と捉えた方が良い。

現代社会はインターネットで多くのことを学ぶことができる時代だ。それは学会での学びよりはるかに効率がいい。学会の発表演題よりもクオリティの高いコンテンツが、多くの場合無料で閲覧できる。自宅に居ながら、手の空いた時間に、高度な学術的コンテンツにアクセスできるインターネット社会は、学びの在り方そのものを大きく変えた。なんの解決ももたらさないワークショップやシンポジウムが必要かどうかという問題は、学会の開催意義も含め、こうした時代の推移の中で考えていく必要がある。

では、今や学会の開催意義とはなにか。インターネットで高度なコンテンツを効率よく学ぶことができると僕はそう述べた。しかし、これはあくまで受動的に何かを学ぶときの効率性であることに注意されたい。

学びをさらに広げていくためには、既存の環境に依存しないことが大切だ。学びのためのコンテンツを『探す』ためには、ある種の能動性が必要とされる。能動的な学びを駆動するにあたり、インターネットはなかなか厄介な性格を帯びる。自分一人では、自分が知っている検索ワードでしか、世界を開くことができないからだ。つまり、リアルな外部との接続を絶った状態では、自分を形成している環境から抜け出すことが難しいのだ。自分が持っていない「検索ワード」を手にいれるには、今自分の周りには無いリアル環境が必要なのである。そして学会はそのリアルなパートを担っている。

 ここで断言しておこう。ワークショップやシンポジウムは何かを解決するために行っているわけではない。90分のワークショップや、15分程度の講演と30分ほどのディスカッションで解決することはそう多くない。むしろそこから立ち上がる問題こそが肝要なのだ。立ち上がった問題こそが新しい「検索ワード」に他ならない。

僕はワークショップを企画する際、「検索ワード」の提供に配慮している。参加者が自分にはない新しい検索ワードを得ることができ、そこから新しい学びを駆動していくことができるような場の提供を心がけている。つまりワークショップやシンポジウムは学びのきっかけを与えるのが目的であって、何かを解決する意図は薄いのだ。

もちろん、コンテンツの質がよろしくないワークショップやシンポジウムも存在するのだろう。だから教育コンテンツに関して、時代背景を十分考慮しながら考え直していく必要がある。インターネットによる学び、リアルな世界での学び、両者は学びの性質が大きく異なっている。学会の開催にあたってはこの2つの学びのスタイルを意識しながらコンテンツを考えていく必要があるように思えるし、こうした方向性で学会の開催意義を考えていくのは、とても建設的ではないだろうかと思う。