すべてについて何かを、何かについてすべてを知るために……
とらわれ続けていたものから視線をそらし、様々な視点から改めて物事を見つめ直すプロセス。何かを学んでいくうえで、僕はこうしたプロセスの繰り返しがとても大切なことだと思います。「この道一筋」というもの大事なことかもしれません。でも、あるテーマを深く学んでいくには、一つの視点からのアプローチより、多様なパースペクティブで捉えた方が、より多くの示唆を得られるような気がしています。
僕はこれまでに人文系の学問分野に触れながら、医療や薬というものについて、薬学とはやや離れた視点で考え直してきました。それはEBMと出会って、僕が感じていた薬学的な常識が、ある意味で “局所的な正しさ” でしかないことに気付いたからです。そもそも、あらゆる知見において “絶対的な正しさ” なるものは存在しませんけど、少なくとも “局所的な正しさ” に安住するような学びだけでは、何も生まれないと感じたのです。
知識を自分なりに積み上げていく作業は極めて創造的です。だからこそ様々な経験や視点が、知識の積み上げ方に独創性を加えていく。そしてその先には自分でも思ってもみなかったような世界が、突如として現れることもあります。医療分野において新しい視野を切り開くために、どんな考え方が役に立つのか、僕が大きな影響を受けた書籍を少し紹介したいと思います。なお、以降で紹介する書籍は、人文系のバックグラウンドがない方でも読みやすく、それでいて、専門的なレベルまで網羅している書籍を取り上げました。
【臨床をめぐる中動態の世界】
医療において、治療方針に対する意思決定、つまり臨床における価値判断は、どのような仕方で行われているのでしょうか。振る舞いを言葉で表す際には、受動態と能動態、この2つに区分することができます。しかし、たとえ自ら決断したとしても、その選択が致し方なく受け入れたものであれば、決して能動的な意志決定とは言えません。
医療を受けているのか、受けさせられているのか、あるいは薬を飲んでいるのか、飲まされているのか。そのどちらでもない世界は臨床にありふれています。“中動態の世界” を垣間見ることによって明らかになるのは、こうした言葉にできない臨床をめぐる価値認識の在り方なのだと思います。
【価値認識と歴史の社会学】
過去の出来事は、出来事として確かに実在しているにも関わらず、出来事に対する解釈は立場、すなわちコンテクストに依存しながら様々に変化していきます。
“歴史は常に新しい” というコピーがありましたけど、過去に存在したはずの確かな事実でさえ、複数の解釈可能性があるということは、過去というものが、存在論的なあり方というよりも、むしろ認識論的なあり方をしているということを示唆しています。
医療現場において情報の正しさが議論されることは多々あります。確かに科学的な根拠に基づいた情報を積極的に活用して医療を提供しなければ、呪術的な医療と何も変わりません。しかし、情報の「正しさ」というものを突き詰めていくと、結局のところ「正しい情報とは何か」というテーマにたどり着いてしまうのです。
そして、あらゆる情報の解釈もまた、解釈者のコンテクストに依存して様々です。同じ天気予報の降水確率を見ても、傘を持って家を出る人、そうでない人がいるように……。情報とはコンテクストに合わせた妥当性があるだけで、そこに「正しさ」なるものが実在しているわけではありません。情報もまた、社会の営みの中で、どのようにも正当化しうるし、逆にそれが問題となることもあって、つかみどころがないものと言った方が良いでしょう。
大事なのは情報が正しいか否かではないのかもしれません。“ある情報によって、幸せになれるかは、人それぞれだよね” という理解こそが情報との向き合い方において重要なのだと思います。
【他者とのかかわり方としての現象学】
臨床現場では、しばしば多職種連携の重要性が強調されますけど、実際のところ、そのような連携と呼ばれるものがうまく機能しているか、と問われれば案外そうでもないように思います。意識しているにせよ、そうでないにせよ、とりあえず穏便に済ます、というのが日常業務の実態であることは多いはずです。
とにかく表だって問題にならないように、できるだけ感情を抑え、相手を非難しないよう配慮すること、他方で徹底的に議論をしようとすれば、とても連携なんてできない状況に陥ってしまう、そんな状況こそがリアルだとは言えないでしょうか。
現象学的思考の特質は、あらゆる先入見を排し、意識に直接現われたもの、直観されたものに対し、内在としての絶対性を認める点にあります。対立する契機を生み出す「(~にとっての)常識的価値観」を取り去り、他者の確信成立構造を、相手の関心や立場に立ち返って探ってみる。そんな思考アプローチを可能にさせてくれる原理です。これは多職種連携にありがちな信念対立を克服することを可能にさせる優れた思考原理でもあるのです。
連携において問題なのは必ずしも意見の正しさをめぐる議論ではなく、それはむしろ互いの立場や関心の相違であることの方が多い。だからこそ、自分なりの常識という価値認識を取り去らい、他者と同じ物語を共有していくこと。臨床現場ではそのような思考原理がとても役に立つことがあります。
【薬剤効果の哲学】
メタンの沸点は約-160℃で常温では気体です。一方で水の沸点は約100℃であり、常温では液体です。両者は分子量が同程度にもかかわらず、沸点にはかなり差がありますよね。この沸点の差異は、水素結合と呼ばれる概念を用いた科学理論で説明することができます。
このような化学理論を僕たちは日常的にごく当たり前のこととして、違和感なく受け入れています。しかし、水素結合の存在は経験的に知覚できるでしょうか。メタン分子の正四面体構造を手に取り、それを様々な角度から実際に眺めることができるでしょうか。科学理論における理論対象はいわば概念であり、その実在を経験的に知覚することはできないのです。
とはいえ、僕らは、こうした理論的な説明をされなくても、常温においては、メタンは気体であり、水は液体であるがゆえに、両者の沸点に差異があることを経験的に知ることができます。理論は現象を作っているわけではなく、現象を説明するための概念装置にすぎません。だからこそ、科学理論は疑いうるし、覆されうるのです。ニュートン力学がアインシュタインの相対性理論に置き換えられたように、異なる理論が同じ現象をもっとうまく説明できる可能性は常に存在しています。
薬理学理論や病態生理学理論はあくまで仮説にすぎません。薬剤効果や疾患の予後という現象を知るためには、疫学的な視点が必要であるということの重要性を、科学哲学を通して学んだ気がします。