思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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差異を許容することと、「より生きやすい」というアウトカム

 『薬剤師としてブログを書く理念や理由・目的』というテーマを頂いたのだけど、ブログを始めたころの心もちを考えていたら、君のことを思い出してしまったので、やっぱり君のことを書こうと思う。

 

 変わりゆくことと、変わっていくこと。僕はあれから1年だけ歳を重ねた。君はあの当時のまま。時間の空白はどんどん膨らんでいく。過ぎ去ってく時の数だけ空白は大きくなり、それはやがて記憶をおぼろげにしていくのだろう。

  そのままってなんだろうなぁ。自分の弱さや不甲斐なさを想うと、抗えない嫌悪の感情が湧き上がってくる。だからこそ変わりたいと願うけれど、人はそう簡単に変われない。

 ――そのままが良いんですよ。

 それは変わらなくてもいいし、変わってもいい、というある種の自由を示唆している。そう、彼にはそういう暖かさがあった。とても自由。ある意味で自由すぎたのかもしれない。

 

 近年、多剤併用を巡る問題は、急速にその認知度を増し、一般メディアでも「ポリファーマシー」という言葉が使われるようになった。PubMedで「polypharmacy」と検索してみると、2010年ごろから文献報告数が急上昇しており、世界的にも関心が集まっているテーマと言える。

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[PubMedにおける"polypharmacy”論文報告数]

 そんな中で、「この薬は飲むべきではない」とか、「10剤以上併用しているなんて重罪だ」なんて言葉もしばしば耳に入ってくる。沢山薬を飲んでいるという事自体が不適切とされ、薬を減らせば診療報酬で加点される仕組みも出来上がった。

 

 どうしてもこの薬がないと不安……。そう言う人にでさえ「医学的不適切性」は薬剤服用に対してネガティブさを押し付ける。それはある種の「生きづらさ」かもしれない。

 ――そのままでいいんですよ。

 エビデンスを丁寧に紐解けば、僕たちが想像しているよりもはるかに小さい薬剤効果が垣間見えてくる。それは有害性にしろ、有効性にしろ、薬がもたらす臨床効果がごくわずかでしかないことを示唆している。薬を減らしたところで何かが変わるわけではない。

・Cochrane Database Syst Rev. 2018 Sep 3;9:CD008165. PMID: 30175841
・Br J Clin Pharmacol. 2016 Aug;82(2):532-48. PMID: 27059768
・BMC Fam Pract. 2017 Jan 17;18(1):5. PMID: 28095780

 論文を継続的に読み、薬剤効果についてあらためて考えを巡らせてみる。不適切とは誰にとって不適切なのか熟考してみる。確かに医療コストや残薬の問題もあるかもしれない。そう言った社会的、環境的要因を踏まえながら、薬の必要性について考えてみる。そういうことの繰り返しなんじゃないかな。

 何かを許容できることは大切だ。自分がこだわっている関心なんて、全体からみれば些細なことでしかない。みにくいアヒルの子だって、2羽のアヒルの子の同等性と同じくらいアヒルの子に似ているのだから。差異を許容すると少しだけ寛容になれる。

 

 薬剤師に対する批判的な言説とそれに対する薬剤師の反論。主張していくことは大事だと思う。でも、主張するだけじゃダメなんだと思う。大事なのは継続的に実践していくこと。そういえば最近、薬剤師の処方提案についてもネガティブな意見があったね。でも、君はそんな言説が出てくる前から、もう実践してた。

jglobal.jst.go.jp

 この発表の時、おもいっきり遅刻した君は、あわてて会場に来て、猛スピードでポスター張って……。気が付けばネクタイ忘れてたんだよね。

  この発表に勇気をもらった薬剤師は沢山いるし、僕もそういう薬剤師と出会ってきた。

 

 ポリファーマシーに取り組むって違和感がある。ポリファーマシーだから介入するんじゃないって、君はそう言っていた。

  薬を減らすことは目的じゃない。少しでも「生きやすさ」を増やすために、薬を減らすことはその手段の一つであっても、絶対じゃない。むしろそのまま飲んでいてもいい。そうだろう?

 

 薬剤師の将来に対して様々な意見があるけど、EBMが当たり前の世の中になれば、みんなもっと差異を許容できるようになると思うんだ。きっとね。

  また、いつか語ろう。