思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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構造主義医療で語るポリファーマシー

 第10回日本プライマリ・ケア連合学会学術大会、5月18日の教育講演は、とても心に残るセッションとなりました。本セッションは栃木医療センターの矢吹拓先生とご一緒させていただき、今回は座長という立場で、ぼくたちが是非お話を伺ってみたいと思う3名の先生にご登壇をお願いして実現したものです。

・名郷直樹先生:ポリファーマシーと言われる中で起きていること:構造主義医療の視点から

・尾藤誠司先生:なぜ薬が増えていくのか」に関する人類学的・行動経済学的考察

・京極真先生:ポリファーマシーをめぐる目的や考え方の相違とその対策案

confit.atlas.jp

  3演題ともに大変興味深いもので、質疑応答も含め、ディスカッションをもっと聞いていたいと心から思うセッションでした。その振り返りも兼ねて、ぼくの師匠、名郷直樹先生の講演内容をほんの少し整理したいと思います。なお、名郷先生の今回の講演スライドはウェブ上で公開されています。

www.slideshare.net

 

【ポリファーマシーと言われる中で起きていること:構造主義医療の視点から】

 『時を含まない名によって指示される同一性は実在しない』 師匠の構造主義医療はまさにこのテーゼに集約されています。物事の実態を認識・把握するということは、今「私にとって」目の前で起きている現象を言葉にしていくプロセスに他なりません。

 しかし、実体▶現象▶言葉というプロセスの中で2つのギャップが生じます。一つは実体から現象を切り出す際、もう一つは現象を言葉に置き換える際です。どちらも「私にとって」という恣意的な関心相関性が排除できないがために生じるギャップです。実態は常に変化を伴うはずなのに、言葉にすることによって時間が抜き去られ、実態が置き去りになってしまうのです。

「ポリファーマシー」という実態がどう変化していったのか、構造主義医療では4分割表を使うことで、恣意的な関心相関性により排除されてしまった視点を取り戻そうとします。ポリファーマシーという言葉からいったん離れて、【図1】4分割表を使いながらその実態に迫ってみましょう。

 

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【図1】全体を取り扱う一つの方法(名郷直樹先生のスライドより)

 

 4分割表で考えてみると、「多剤併用は悪い、薬を減らすことが大切だ」という現象は、『薬で幸せ/薬がなくて不幸(a/d)』という状況から、『薬が多くて不幸/薬がなくて幸せ(b/c)』という変化をまとうものであることが分かります。ポリファーマシーを問題視するというのは、構造主義医療では『a/dだけをコトバにする時代から、b/cもコトバにする時代』と考えるわけです。しかし、実際は常にabcdがあるのです。4分割表のどのセルに関心を向けるかは、時代の変化と共に変わることが良く分かるかと思います。

  名郷先生は高血圧治療薬を例に、構造主義医療で捉えた薬物療法を提示します。30年前の高血圧治療では、『血圧180mmHgが140mmHgまで低下(a)』というセルと『血圧180mmHgのままで脳卒中(d)』というセルに関心が集まり、「降圧薬で140mmHgは幸福、降圧薬なしで180mmHgは不幸」という考え方が一般的でした。当然ながら「降圧薬で脳卒中を予防しよう」ということに違和はなく、高齢者だろうが数多くの薬が処方されてきたわけです。

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【図2】高血圧治療の4分割表(名郷直樹先生のスライドより)

  しかし、『ポリファーマシー』という言葉に関心が集まるようになると、高齢者においては『血圧140mmHgが130mmHgまで低下(c)』はむしろ有害かもしれない(Age Ageing. 2016 Nov;45(6):826-832)、『血圧180mmHgのままで元気な人もいる(b)』というセルに目が向けられ、「降圧薬で130mmHgで不幸、降圧薬なしで180mmHgは幸福」という考え方にシフトしていきます。今日では「薬が多いと不幸になります」というメッセージが広く発信されるようになりました。

  しかし、4分割表を使うことで見えてくるのは、aとdのみに関心を向ける、あるいはcとbのみに関心を向けなければいけないルールや決まりはないということです。「降圧薬がありでもなしでも幸福になれる(ab)」という枠組みに関心を向けても良いし、「降圧薬があっても幸福にも不幸になる(ac)」という枠組みに関心を向けても良い。全体を拾うことで「降圧薬で幸福になろう」だけでなく「降圧薬なしで幸福になろう」ともいえるのです。

 ポリファーマシーという言葉がクローズアップされるということは、その実体として『薬で幸せになろうとしていた時代から、薬なしで幸せを目指してはどうかという時代』への変化が存在するということです。

 以上を踏まえて、時間を含む変なる現象としての「ポリファーマシー」とは何でしょうか。名郷先生のスライドから一部引用します。

「薬で病気を予防する」という不変の同一性の概念化、「コトバ」の限界にぶつかって、それは概念化が間違っていたせいだという

「薬で病気を予防する」という「コトバ」の波は圧倒的で、「現象」より「コトバ」が実体だと思ってしまう

「薬で病気を予防する」という不変の同一性も、変なる「現象」の中に見出すしかない。その一つが「ポリファーマシー」という「コトバ」である

「薬を飲む」という変なる現象を見ずに「薬の病気に対する効果」ばかりを見る者との戦いこそが、医学の営みである

 池田清彦先生の構造主義科学論によれば、言葉とは時間を生み出す形式のことです。しかし、学術用語においては、言葉によって「不変の同一性」を担保する必要するがあります。一般的にはこれを概念化、あるいは定義付けなどと言うのでしょう。つまり、時間を抜いて「不変」を担保し、時間を生み出さない「コトバ」で定義化するということです。

  しかし、例えば高血圧という言葉を用いることで、患者個別の時間を引き抜くとどうなるでしょうか。今の高血圧、5年後の高血圧、10年後の高血圧……。高血圧に含まれている時間を考慮しないことは、変なる現象にまなざしを向けないことに他なりません。20年後の高血圧はその患者の生命予後に何ら影響を与えないかもしれないのに、高血圧と言葉にするだけで、診療ガイドラインが圧倒的な力を持って薬物治療を推奨してくる(あるいは治療を否定してくる)、そんな一面があります。言葉にすること、現象に白黒つけることの代償とはまさに、言葉にならなかった現象を隠蔽し、実態から遠ざかることに他なりません。

  そして、どこでも誰でも通じる不変、普遍的な学術用語は、複数の専門家が同一の現象を客観的に取り扱うことを可能にさせますが、「変なる現象」から乖離し、その実態は置き去りにしていきます。そのことにぼくらが気付けないのは、「高血圧」という言葉こそが実態だという強い信憑を抱いてしまうからです。言葉はそれほど強い力を持っています。

  「ポリファーマシー」と言葉にしたときに見失われたものは何か。関心のない所にこそ重要なものがある。だからこそ「全体を取り扱う方法を考えなさい」

 

 師匠と出会って8年が経とうとしています。構造主義とはそもそも何か、そんな疑問から興味を持った哲学でしたが、今回あらためて、師匠のお話を聞くことができ、ほんの少しだけではありますけど、構造主義医療が理解できたような気もしています。しかし、師匠を目の前にすると、緊張してしまって、もっとお話を伺いたかったのですが、上手く話せませんでした……。またお会いできる機会に、楽しみをとっておこうと思います。

 

【参考文献】

構造主義医療の枠組みで医学論文を読み解く、そんなコンセプトで書かれた唯一の書籍です。

薬剤師のための医学論文の読み方・使い方

構造主義医療の原典は池田清彦先生の構造主義科学論の冒険です。

構造主義科学論の冒険 (講談社学術文庫)