思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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【書評】劉慈欣『三体』

 僕たちが観測できていると信じているこの世界は、実はごく一部の特殊解に過ぎないのではないだろうか? ヒュームに指摘されるまでもなく、人間が考える不変の物理法則なるものが、一時的な気まぐれに過ぎない可能性を誰にも否定できない。

――つまり、物理学は存在しない。

 世界の法則性が突如として消え失せ、全くでたらめに変化しうるとしとしたら、別様に変わりゆく現象を偶然として受け入れることができるだろうか。それとも、その背後にうごめく必然性を感じるだろうか。

『人類と悪との関係は、大海原のその上に浮かぶ氷山の関係かも知れない。海も氷山も同じ物質からできている。氷山が海とべつのものに見えるのは、違うかたちをしているからにすぎない。じっさいには、氷山は広大な海の一部なのではないか………(P29)』

『何かが透明であればあるほど、それは謎めいていく。宇宙自体、透明なものだ。視力さえよければ、好きなだけ遠くを見られる。しかし、遠くを見れば見るほど、宇宙は謎めいてくる(p141)』

 中国人作家、劉慈欣氏による長編SF小説『三体』。光吉さくら氏、ワン・チャイ氏、大森望氏が翻訳し、2019年7月に早川書房から出版された。

三体

 表題の『三体』とは、相互作用する質点3個からなる系の運動を規定する問題、すなわち「三体問題」をモチーフにしたものだ。この三体問題を軸に、異星における科学技術の発展とその行方をバーチャル・リアリティゲームの中で描きつつ、なおかつこのゲームそのものが、物語の進行上のコアとなっている。そして、物語の背後を貫いていたのはピーター・シンガーの思想だった。

 別様に変わりゆく現象に対して法則性を付与するという試み。科学技術は常に世界を数式で記述しようと模索、そして発展してきた。しかし、その果てに生命が垣間見るのは希望なのだろうか、それともある種の絶望なのか……。この広大な宇宙の中で、人間の目に見えている範囲だけが世界の全てではないのだ。

 時代背景や文化思想を含め、本作品の世界設定は極めて秀逸だ。どもまでもシリアスなストーリー展開は読者を飽きさせない。SFというジャンルに留まらない一級のエンターテイメント小説といえるだろう。