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思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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薬の現象学〜第1回:イントロダクション〜

薬が効くとはどういう事か。ある人には効いたけど、ある人には全く効かない。臨床研究の結果からはかなり有効性が期待できそうだけど、実際の臨床では期待するほどの効果が得られない。臨床研究とは、薬剤効果を一般化するために、人間を対象に薬剤とプラセボを用いて、プラセボに比べてどの程度効果があるのか検討した研究である。その薬剤効果は統計的手法を用いて、プラセボに比べて総死亡が20%低い、とか心臓病の発症が30%低い、というような記述が行われる。薬剤の有効性を規定する科学的根拠であり、一般的には「エビデンス」などと呼ばれる。

薬の効果は一律に規定することができないという事は、薬剤師なら誰でも経験したことがあるだろう。当たり前のように思えるこの問題を、あらためて考えてみたい。理論的に考えればウイルスによる感染症に対して、抗菌薬は全く効果がない。それにもかかわらず、抗菌薬が効いたというような話は決して珍しくないだろう。

薬剤効果を規定するものは、薬学を学んだものからすれば、薬理学的作用機序や、臨床研究から得られる統計的示唆であろう。しかしながら、必ずしもそれは薬剤効果の実効性という現象を表していないし、時に矛盾することさえあるのである。

このような問題を根本的に解き明かし、薬剤の効果に対する認識プロセスの基本的な原理を取り出そうというのが本連載の目的である。またその理路構築にあたり、現象学的示唆を用いながら思索を展開してみようと思う。

[言葉の内包の不一致による信念対立]

現象学と言えばエトムント・フッサール(1859~1938年)が有名だが、本稿では現象学そのものを詳しく述べるつもりはない。現象学というと何やら難解な哲学概念のように思えるが、僕の理解によれば、現象学とは思考の原理のことである。つまり、現象学的を知ることは、思考の根本原理を知ることに他ならないのである。現象学を思考の原理として取り入れた方法論、思想に構造構成主義[1]がある。

現象学とは何か、その解説に良くリンゴの例が用いられるのだが、ここではより身近な例を具体的に提示しよう。例えば、僕が職場で、今年入社したばかりの若手社員に「ご苦労様です」と言われたとする。入社したばかりにも拘わらず、とてつもなく重大な任務を与えられ、途方に暮れているところを、僕が、深夜まで業務をサポートし、さて、帰るか、というところで、この新入社員に「ご苦労様です」と言われた、そんなシチュエーションである。

さて、この時の若手新入社員の気持ちはどうだったであろうか。慣れない仕事を、深夜まで手伝ってくれた先輩に対して、心からの感謝の気持ちだったと思える。お疲れのところ、遅くまですみません、「ご苦労様です…」と。

一方、この言葉を受け取った僕の気持ちはどうだろうか。「ご苦労様です」というねぎらいの挨拶は一般的には目上の人が目下の人に対して行うものである。例えば社長が一般社員に「ご苦労様」というのは全く違和感がないが、新入社員が社長へ「ご苦労様です」というのは、相当失礼に値する。しかし「ご苦労様です」という挨拶をどのように使うか全く知らず、この「ご苦労様です」には「お疲れ様です」とか「こんな私のためにありがとうございます、助かりました」というような、ねぎらいや感謝の思いが込められていたとしたら、どうだろうか。

ここで一つ明確になるのは、「ご苦労様です」という言葉の中にある文化、習慣的要素、あるいは言葉の内包的意味とでも言おうか、それが僕と新入社員で全く異なっている点である。僕は「新入社員が先輩に使う言葉じゃないだろう」と思うし、新入社員は「先輩、ほんとありがとうございます、お疲れのところありがとうございました」というような思いを込めていたかもしれない

言葉には外延的意味内包的意味がある。「ご苦労様」という言葉は、基本的には“ねぎらう”という外延的意味を持っているが、僕にとっては「目上の人が目下の人をねぎらうときに用いる言葉」という内包的意味を有しているし、新入社員にとっては、「相手が誰であれ、感謝、ねぎらいの意味で用いる言葉」という内包的意味を有している。その根本にはねぎらい、感謝があるのに、言語化される中で、言葉の内包の意味が一致しない。そこで僕にとっては生意気な新入社員、新入社員にとっては、あの先輩は付き合いにくいなぁ、というようなコミュニケーションの齟齬をきたすことになる。

言葉の内包的意味は、人それぞれ、その言葉を解釈するうえで、直観的に感じる意味知識が存在する。例えば広島、と言えば、原爆ドーム、戦争の悲惨さというような内包的意味が立ち上がる。そして、言葉そのものの意味とは別に、言葉から受けるこのような内包的意味、いうなれば言葉から受けるイメージは、これを拒否することができない。この疑えない内包的意味を現象学的には内在などと呼ぶ。

[現象学的アプローチ]

現象学は、あらゆる常識的価値観を取り去り、その言葉に潜む内在知覚の源泉はどこにあるのだろうか、というところを目指すアプローチの仕方、原理である。つまり、現象学的アプローチとは、言葉の外延だけでは人と人が対立する契機を生み出す可能性があるが、自身が確信している言葉の内包をいったんカッコに入れることで、他者がその言葉に対してどのような内包、内在知覚を有しているのか、そこに迫ることなのである。

これを薬剤効果の内在知覚に対して応用を試みようというのが、薬の現象学である。ある人には効いたけど、ある人には全く効かない。臨床研究の結果からはかなり有効性が期待できそうだけど、実際の臨床では期待するほどの効果が得られない。そういった薬剤効果の不一致はどのように編み上げられていくのか、臨床研究(エビデンス)から得られる示唆と目の前の患者の薬剤効果のギャップはどのような仕方で構築されているのか、そこに迫ろう、そんな試みである。

[注釈]

[1] 西條剛央『構造構成主義とは何か. 次世代人間科学の原理.』北大路書房、2005 ISBN 4762824275