「読むこと」そして「書くこと」について―情報化社会における学びのスキル―
ネットワークを基盤とした情報化社会がもたらしたもの、端的に言えば、それは「知識の外部化」です。情報化社会は今後もこの流れをますます加速させていくことでしょう。
情報を外部化しつつも外部化された情報を効率よく取り出す。つまり、それは「調べること」と「知っていること」の狭小化ですが、これは学びの在り方も大きく変えていきます。情報化社会においては、あらゆる「知」が常に生成し、そして更新され続けています。まるで電子化された客観的知識が濁流を流れるかのように、ネットワーク上の流れを生み出していきます。
こうした社会においてブログメディア(類似のネットワークメディアを含む)は非常に優れたツールと言えましょう。知識の外部化と検索の効率化を同時に行えるこうしたブログメディアは、これまで一般的だった紙媒体と活字メディアを用いる手法よりも学びの効率性を格段に上げます。また、文字テキストの電子化により、引用もスピーディーに行えるのが特徴です。
ブログメディアを活用するに当たり必要となる基本的なスキルが文書を書くと言うことでしょうか。知識の外部化にあたり文章を書くスキルは紙媒体であっても重要なわけですけど、ネットワーク上にテキストを投稿することは、知識の外部化と同時に情報の発信者にもなるわけです。読み手を意識することで、やはり文章力というスキルは少なからず関心の的になるでしょう。
文章を書くのはなんとなく苦手、そんな風に思う方も多いと思います。僕に文章力なる力が宿っているとは思えませんが、僕なりの文章の書き方のノウハウを以下のnoteにまとめてあります。
また文章を書くことに興味のある方には以下の書籍がお薦めできるかもしれません。
言語における創造性は読み手に対する懇請の強度の関数です。どれくらい強く読み手に言葉が届くこと願っているか。その願いの強さが、言語表現における創造を駆動している。
僕らが行う言語活動とは何か、またそれを駆動しているものとは何か、伝わる言語とは何か、届く言葉とは何か、そういったことをあらためて考えるきっかけをくれた本です。
言葉は、それが話されている社会のみ共通な、経験の固有の概念化・構造化であって、外国語を学ぶということは、すでに知っている事物や概念の新しい名前を知ることではなく、今までとは全く異なった分析やカテゴリー化の新しい視点を獲得することに他なりません。
言葉はものの名前ではない。それは表現であり、意味である……ソシュール言語学の入門書的な位置付けになる本書ですが、僕にとっては医療との向き合い方を大きく変えた本です。
肩書がないというような『ただの村上春樹である(でしかない)というのは、なかなか悪くないことです』
この言葉がなんとなく印象に残っています。この言葉と文章を書くことがどうつながるのかは本書を読んでのお楽しみと言う所でしょうか。
これらの本を読んだからと言っていきなり文章が上手くなる分けではありませんけど、自分の考えや想いを言葉にすることについて大きな示唆を得られることは間違いないでしょう。