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思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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年頭所感〜“象”を追え〜

新年あけましておめでとうございます。

旧年中は、大変お世話になりました。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

今年の抱負というか、目標というほど大げさなものでもありませんが、「言語化」というのは、一つ、大きなテーマだと感じています。もちろんこれまでも意識してきたテーマではあります。薬剤師として医薬品情報をまとめる際に、臨床で起こっている現象をコトバにしていく作業は大切です。今年はそれに加えて、“フィクション的な何かを”コトバにしたいなぁと考えています。詩でも論説でもないもの、どちらかと言えば小説に近いものなのでしょうか。

〔現象と表象〕

さて、「現象」なんて、普段、日常的に用いることの少ないコトバだと思いますけど、僕の思索の中では重要なキーワードです。一般的には現れた形や姿を指すでしょう。ある物事が形をとって現れること、ともいえるかもしれません。現象…象が現れるって書くんですね。ところで象って何でしょう。

哲学書や心理学系の書籍にもよく出てくる「表象」というコトバ、これも象が表れると読めますね。現在において知覚してはいない事物や現象に関する意識内容とでも言いましょうか。現象を知覚してはいないけれど、僕の心に立ち現れる何か、そう僕の中に隠れていた“象”が表れるという事なのかもしれません。

〔現象の言語化から表象の言語化へ〕

言語化するにあたり、これまでノンフィクションを扱ってくることが多かったわけです。僕の発信する情報は科学的根拠に基づいた学術情報が中心ですから、当たり前のことかもしれませんが、今年はフィクションも扱いたいと思います。もちろん学術情報としてのフィクションではありません。(それではトンデモ情報と変わりませんよね) 僕がコトバにしたいのは「表象」です。実証的事実に基づかない、僕の想いをコトバにしたい。それが冒頭に書いた、詩でも論説でもないもの、つまり小説のようなもの、ということです。現象の言語化から表象の言語化へ。象を追う事で、何か新しい世界を垣間見ることができるかもしれません。

複雑系を受け入れながら〕

実証的に知覚してはいないけれど、僕の五感を通して心に立ち現れる何か。まだ言葉にされていない段階にも注目していきたいと思います。僕たちにイメージされる現象はわりと明確です。例えば、赤という色を今思い浮かべてみると、赤だという表象を明確に得ることができるでしょう。ピンクという色に関しても同様に明確なイメージを得ることができると思います。しかしながら赤から徐々に色を薄くしていくと、いったいどこからがピンクなのか、明確に記述できないのです。

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色度図上のsRGBカラートライアン(原色 ウイキペディアより)

 

もちろん自分はここからがピンクだと思う、というような個々人においての境界線を構築することは可能です。しかし、それが多くの人の共通了解を得ること難しい、という事は想像しやすいでしょう。ピンクを規定する基準そのものは、恣意的な客観的基準はあるかもしれませんが、主観的内部には存在しません。つまり”君”のピンクと”僕”のピンクは必ずしも同色を意味していないのです。

言語次第で現実の連続帯がどのように不連続化されていくかという、その区切り方自体にみられる恣意性[1]

丸山圭三郎さんのこの言葉にすべてが表されている、そんな気がしています。

 

人は明確な境界線を好みます。”君”のピンクと”僕”のピンクが一致しないように、あらゆる思想や価値観は他者と厳密な一致をみません。そして、境界線を引くことが、争いやいじめの原因となっていることは自明です。思想の境界線が生み出す価値で、いったいどれだけの血が流されたのでしょうか。

もっと身近なところで言えば、思考の境界線は、極論や二元論も生み出します。もちろんそれが良いことなのか悪いことなのかという二元論に立ち入りたくはありません。ただ境界線は、一方を受け入れるべき価値観と規定すると、境界線の向こう側は永遠に失われるのです。失われてしまったものを取り返すのは相当困難、僕は経験的にもそう感じざるを得ません。

境界線を不鮮明なまま表象を言語化する。そこにあるのは複雑系そのものです。しかしながらその複雑系にこそ自由(らしきもの)があるのではないでしょうか。境界線により失われるもの、それは「選択肢」であり自由(らしきもの)に他ならないと僕は思います。複雑系を受け入れることは、境界線の向こう側をネガティブにしないという事です。境界線が生み出す差異を肯定すること、僕が向き合いたいコトバの世界はまさにそこにあります。コトバが世界を作るとはちょっと大げさかもしれませんが、そんな世界観を描きたいのです。そのために言語化対象を表象に設定する、外的・客観的な観点だけではなく、内的・主観的な観点をよりリアルに描写していく。もう少し自由にコトバを紡ぎたい。「象」の姿を垣間見るために、今年も様々な模索を続けたいと思います。

〔引用文献〕

[1]丸山 圭三郎 言葉とは何か (ちくま学芸文庫) – 2008/4/9