セカオワと構造構成主義と病気の実在について
〔世界の終り?〕
僕は中学時代からギターを始め、高校、大学とずっと音楽をやってきた。大学卒業後はバンド活動こそしなかったものの、Logic Pro、TRITON、Macという機材群とギターで音楽を作っていた時期もあった。[1]そんな経験もあってか、音楽はジャンルにこだわらず、いろいろなものを聞く(つもりだ)。
SEKAI NO OWARIというバンドがある。
ウィキペディアによれば2010年にインディーズデビューし、2011年にメジャーデビューした日本の4人組ロックバンドらしい。最新の音楽に疎いせいか、バンド名こそ知っていたものの、彼らの音楽をまともに聞いたのは、つい先日のことだ。その音楽性も独特なのだが、驚愕したのは歌詞の内容だ。
つい最近知った“セカオワ”について偉そうに語るのもファンの皆様に申し訳ないが、歌詞の内容があまりにも、僕の感性をえぐったので、少しお話させてほしい。歌詞の引用は著作権上、様々な問題があるのでできる限り避け、ここではその内容を簡単にまとめたい。[2]特に印象に残った3曲のから、その歌詞の概要をご紹介しよう。
〔これは構造構成主義じゃないか!〕
この曲は全編が英語の歌詞だ。英語の歌詞の曲は多くの場合でカッコエエーってだけで、その歌詞の内容が全く頭に入ってこない貧弱な英語力の僕でも、深瀬さんの歯切れの良い発音とその内容の深さに聞き入ってしまう。歌詞の引用はしないと言ったが、英語なので、どうしようもない。特に印象に残ったのは以下の部分だ。
One day I began to feel that dogs weren’t locked up in chains.so please let me ask you this. “what is the reason that you are free?”
(SEKAI NO OWARI 深い森 作詞:深瀬 慧)
深瀬さんがどういう意図で作詞されたか、僕には知り様もないが、僕なりに訳してみよう。「One day I began to feel」つまり、「ある日、僕は感じるようになった」、と言っている。いったい何を感じるようになったのか、that以降に書かれている。「犬が鎖につながれておらんぞよ?」と感じたわけだ。で、何をしたか。「so please let me ask you this」 鎖につながれていないことについて「どうか君に質問させてくれ」と。「なぜ君はそんなに自由なんだい?そのわけを教えてよ」と言う感じだ。まとめるとこんな感じ。
僕はいつの間にか、君(犬)が鎖につながれていないってことを当たり前に感じられなくなっちゃったんだ。僕は君に質問しなくてはいられないよ。「どうしてそんなに自由なんだい?」って。
犬が鎖につながれているのは当たり前じゃないか。という常識的価値観を打ち破る、そんな印象をもたらしはしないだろうか。野良犬がいたら保健所に連絡して引き取ってもらって、その犬、飼い主が見つからなかったらどうなるの? 僕たちは自由なのに、なぜ犬たちは自由じゃいけないの?僕たちの生活が脅かされるから?
この曲は、かなりはまっていて何度も聞いている。個人的には英語版が好きだが、公式の日本語歌詞も内容はほぼ同じだ。
人にはそれぞれの正義がある。だから争い会うのはもう必然的なことなんだ。僕の正義も君を傷つけている。僕の嫌いな君も君なりの正義があるんだ。終わりのない争いに今夜だけは終止符を打ちたい。そんな風に歌う。
西條剛央さんが提唱する構造構成主義でいう所の関心相関に基づく信念対立。
そんな対立を今夜だけは忘れて、みんなで踊ろうって言っている。英語版では「友達」のところを「best friends」ではなく「best of friends」という言葉で表現している。友達のなかの最高の友達。セカイは分かり合えるのだろうか。
この曲が本エントリーでもっとも強調した部分であるが、楽曲自体も素晴らしいので是非聞いてみてほしい。
日本語歌詞なので聞きやすいだろう。人を殺してはいけない、なんて価値観がこの国で生まれてからまだ100年もたっていない。帝国主義の時代から列強と言われるような国々は、アフリカやアジア諸国を次々と植民地化していった。明治以降の日本も同様。そこでは人を殺してはいけないなんて価値観はごく一部に過ぎなかった。そんな時代が確かにあったのだ。
宇宙に行ったこともないのに宇宙の存在を信じている。神の存在は信じないのに、科学により実証されたことは真実だと疑いもしない。ごく当たり前の常識を何の疑いもなく信じている。なんで?
「なんでってそりゃ」[3]
〔君は何を信じている?〕
モノは実在するだろうか。神という存在は、どちらかと言えば、実体として存在するモノではなく、信仰として僕たちの思考の中に存在する、いわばコトである。モノは確かに実在するように思える。例えば鉄筋コンクリートでできたビルディング。
これが実在しないなんて思う人は新宿をさまよったらよい。鉄筋コンクリかどうかは僕の知ったことじゃないが、なにがしかのビルが乱立しているだろう。ビルは実在物でありモノである。さしあたって、それに違和感はないだろう。そのビルを構成しているのは鉄筋コンクリかなんかだ。つまり物質。なにがしかの物質でできており、その物質もビルが実在するなら実在するモノであろう。では物質は何からできているのかと言うと、例えばコンクリートならカルシウムやケイ素の化合物。つまりカルシウムとか、ケイ素という原子は実在するモノとして考えられる。
これは誰もが真実と確信している現代科学からすると常識的な考え方ではなかろうか。物質は原子から成り立っており、原子そのものも実在する。ところで原子って誰か見たことがあるかい?
高校化学からの知見によれば、原子とは物質を構成する最小単位であり[4] 原子核とその周りを回る電子からなる。原子核はさらに陽子と中性子に分けられるが、ここではそんな区別はどうでもいい。[5] 原子ってのはイメージすると、こんな感じだ。
〔高校化学・原子〕原子の構造 -オンライン無料塾「ターンナップ」-
つまり原子核の周りを回る電子軌道まで含めて原子なのである。しかし、原子核から電子の軌道までの距離は思いのほか、というより“かなり”遠いい。原子核をサッカーボールに例えると、電子は数百メートル~数キロの範囲にいることになる。しかも電子軌道は何か殻みたいなものじゃなく、真空状態に電子なるものがくるくる回っているだけである。でっかい講堂の中にパチンコ玉が浮かんでいる、そんなイメージだろうか。つまり原子の中身はスッカスカなんだ。だからビルを圧縮装置に欠けたらぺしゃんこにつぶれてしまう…んなわけないんだが、何を言いたいかと言うと以下の通りだ。
『まことに、知識の普及による既成観念の確立という社会文化的現象は驚嘆すべき事実であって、誰も見たこと、触ったこともない物質的原子とやらの実在性をさも当然のことのように人々は信じきっている。』
『人々が物質的原子の実在性を信じて疑わないのは、かつて人々が神霊の存在を一斉に信じていたのとどこかにている』
(廣松渉 哲学入門一歩前 p24)
僕は科学実在論を否定的にみる立場の人間なんで、原子の実在性すら危ういなんて考えているのだが、少なくとも科学認識により構築された常識的価値観の危うさ、つまり科学理論が完璧に目の前の現象を説明しているわけじゃないことが理解いただけるのではないか。
〔病気はモノとして実在するわけじゃない〕
一気に本題だ。ここからは少し難解かもしれない。僕が言いたいのは、病気なんて実在する「モノ」じゃないという事だ。病気はどこかに実在する『モノ』じゃなくて、構成的に立ち現れる『コト』としての現象である。正常と異常の区別が、社会構成的に生み出されるように、病気である状態と病気でない状態を峻別することなど不可能だ。病気は『モノ』的存在者としては、僕たちの頭の中や社会制度の枠組みの中にあるにすぎず、実際には、そこから構成的に生み出された『コト』的存在者として立ち現れるのだ。つまり、病気とは、社会文化的背景により意図的に構成され、また、しばしば恣意的に認識される現象である。
分かりにくいだろうか。2014年のLancet Respir Medに興味深い論文が掲載された。[6]この研究は季節性インフルエンザ及び新型インフルエンザ(pandemic influenza)の重症度や地域社会への負荷を異なる年齢層や研究年で比較し、これまでの慣習的なサーベイランスがインフルエンザによる負荷を過小評価している可能性について、洞察を得るために行われたものだ。
英国において季節性インフルエンザ流行期3期(2006~07、2007~08、2008~09年)及び新型インフルエンザ(第1波:2009年春夏,第2波:2009年秋冬,第3波:2010/11年冬)の連続コホートを追跡調査し、インフルエンザによる地域社会への負荷や重症度を比較している。
その結果、人口1万人当たりの典型的なインフルエンザ感染状況は、1828人で感染しており、そのうち、1371人(75%)で無症候性であると推測された。また379人(約20%)はインフルエンザにも関わらず、医師を受診しない可能性があると想定されている。[7]
(文献6より引用)
つまり多くのインフルエンザ感染者で無症候性であり、また医師を受診しない人も多いという事だ。ほとんどのインフルエンザは無症候性であるという実態があるにも関わらず、インフルエンザかどうかを決めているのは多くの場合で検査キットの結果であって、実際に立ち現れた現象ではない。検査で陽性が出れば、無症候性のインフルエンザはインフルエンザと認識される。しかし、無症候性インフルエンザに治療は必要か?インフルエンザ検査で陽性、という事実より、あまりにも辛い上気道症状と倦怠感、という事実の方が現象を上手く記述できているように思われる。
医療者の関心相関性に基づいて現象が病気に代わる側面がある。現象に名前を付けるかどうか、病気の存在とはそんな危ういものだ。無症候性インフルエンザには現象としてのインフルエンザは存在しない。一方で検査陰性であっても、インフルエンザ流行期で、あまりにも辛い上気道症状と倦怠感そして関節痛であれば現象としてのインフルエンザは存在する(かもしれない)。インフルエンザと言う現象がどこかに独立して存在しているわけではなく、現象をどう医療者が認識するのか、インフルエンザはそのような仕方で存在する。
しかし、一般的には、神の実在を信じてなくてもインフルエンザの実在を信じているという実態がある。僕自身もどこかでこの考え方を捨てきれていないのかもしれない。
〔認知症を早く見つけなくてもいいじゃないか〕
人はどれくらいのことを覚えていられなくなったら病気と言われてしまうのだろう。繰り返すが病気はモノではない。認知症という病気もモノではなくコトである。病名が付与された段階で、認知症と言うコトを生きねばならない。
厚生労働省のホームページには…
「認知症はどうせ治らない病気だから医療機関に行っても仕方ないという人がいますが、これは誤った考えです。認知症についても早期受診、早期診断、早期治療は非常に重要です。」と記載がある。早く見つけた方が良いという事らしい。
でもなんで?
「なんでってそりゃ…」[8]
認知症の前段階として軽度認知機能障害(mild cognitive impairment:MCI)という概念がある。これは、記憶力は低下いるものの、他の認知機能障害は現れておらず、日常生活にも支障をきたしていないという状態である。早期発見を推進することで、少なからずこの軽度認知機能障害が治療対象になるケースも発生するだろう。つまり過剰診断だ。軽度の認知症と軽度認知機能障害を峻別するのは難しい。認知機能の程度に対して、医療者がどういう仕方で現象ととらえるかで、病気かそうでないかが決定される。軽度認知機能障害が、軽度の認知症と判断され、実際に薬物治療が開始されるケースはあるのではないか?病気はモノとして実在しないがゆえに、医療者によって恣意的、時に意図的に生み出されることもあろう。
たとえ軽度認知機能障害を早期に診断しても、実際に認知症に移行するケースはそれほど多くない。[9][10] そもそも軽度認知機能障害に対する有効な薬物療法すら存在しない。[11][12] 明確な治療方法が無いにも関わらず、病名を付与して病気を生み出す意味はあるのだろうか。むしろ、明確な治療法がないのであれば、早期発見しない、という選択肢もあって良いはずだ。なぜ早期発見だけが国を挙げて推奨されるのだろうか。「認知症を早く見つけなくてもいいじゃないか」、という選択肢がネガティブな仕方ではなく、もう少しポジティブな仕方で常識に登録されても良いのではないか、僕はそう思う。
僕たちは患者さんを救えないが自分は救われる、という事に気がつきにくい。僕たち医療者の“正義”で、患者さんを傷つけるということが、現代科学がもたらした高度医療の前では正当化されてしまう恐れを孕んでいる。
〔脚注/参考文献〕
[1] 音楽制作に興味のない人は何のことやらでしょうが申し訳ない。こう書くとなんだかカッコいいでしょ?機材は本当に持ってたし、ちゃんとCDも作ってた。つまり当時の僕の部屋の一部はスタジオ化していた。今でも自宅に保管してる機材群は、もう何年も稼働していない。
[2] おめーの解釈はセカオワをわかっちゃいない、というご意見もあるかもしれないが、音楽から受ける影響は人それぞれであり、僕は自分の意見が普遍的に正しいなんて主張するつもりは毛頭ない。あくまで「個人の感想です」というような話である。
[3] 当たり前のことだから?
[4] もちろん大学化学からの知見ではさらにマニアックな議論ができよう。僕は薬学部卒だが、化学の知識は高校レベル(もしくはそれ以下)しかないので詳細に立ち入るのはやめる。
[5] もちろん学術的にはどうでも良くない。大学受験でも頻出事項であるため、十分勉強しておいた方が将来的には得することの方が多いだろう。
[6] Hayward AC.et.al. Comparative community burden and severity of seasonal and pandemic influenza: results of the Flu Watch cohort study. Lancet Respir Med. 2014 Jun;2(6):445-54. PMID: 24717637
[7] ほとんど無症候性のインフルエンザなら、インフルエンザ感染拡大を防ぐために、無症候性インフルエンザを徹底的に見つけよう、なんて過激な考え方を僕は持っていないし、そんなことを主張するつもりもない。
[9] Mitchell AJ.et.al. Rate of progression of mild cognitive impairment to dementia--meta-analysis of 41 robust inception cohort studies. Acta Psychiatr Scand. 2009 Apr;119(4):252-65. PMID: 19236314
[10] Mitchell AJ.et.al. Temporal trends in the long term risk of progression of mild cognitive impairment: a pooled analysis. J Neurol Neurosurg Psychiatry. 2008 Dec;79(12):1386-91. PMID: 19010949
[11] Russ TC.et.al. Cholinesterase inhibitors for mild cognitive impairment. Cochrane Database Syst Rev. 2012 Sep 12;9:CD009132. PMID: 22972133
[12] Tricco AC.et.al. Efficacy and safety of cognitive enhancers for patients with mild cognitive impairment: a systematic review and meta-analysis. CMAJ. 2013 Nov 5;185(16):1393-401. PMID: 24043661