読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

カウンター カウンター

『薬剤効果の不平等性』に関して

”心臓病の発症が約30%減る”というのと、”119人に対して約5年間治療を行うと、そのうち一人だけ心臓病から救うことができる(NNT=119人)”というのはプラバスタチンという薬剤に関する、同じ薬剤効果の記述である。(Lancet. 2006 Sep 30;368(9542):1155-63.PMID:17011942

しかし、この2つの記述から受ける印象はだいぶ違うのではないだろう?僕は、こうした薬剤効果の記述にまつわる排他的関係を根拠に「薬剤効果の曖昧性」という概念を提示した。つまり薬が効くと言う実態は、存在するかもしれないし、存在しないかもしれない。

(参考)[哲学]×[医療]で見えてくるもの~開かれた医療とその敵~

syuichiao.hatenadiary.com

しかし、なぜこのような排他的関係が同じ薬剤効果の記述として成立しうるのか。もちろん統計学的背景もあろうが、薬剤効果が認識論的に構築されていると言う要素が大きいように思う。薬剤効果は人の認識により編み上げられるという側面を持つことは、相対危険と相対利益という2つの指標を見比べてみるとよくわかるだろう。効果のある薬剤の実効性は見方を変えれば極めて小さい効果でしかない、という事は多々ある。しかし、NNTで示されるような薬剤効果は一般的にはかなり奇妙な現象であり、僕が提示した「薬剤効果の曖昧性」という概念は受入れがたいものかもしれない。

薬剤効果というのは統計というコトバで記述される限り、なにがしかの平均値的なものを想像してしまうように思われる。それが故、NNT(Number needed to treat)という指標をそのまま受け入れることが困難な人も多いのではないかと僕は考えている。どういうことか。

 

目の前にある薬、これが心臓病を30%減らすのだとしたら、自分が飲んだら、当然そのリスクが30%減る。それは誰にとっても同じ30%であり、自分だけ全く効果がないなんてことはあり得ない。

あるいは、君にとっては30%減るかもしれないが、僕にとっては10%減るくらいかもしれない。でも薬を飲む限り0%ということは”ありえない”し、多くの人たちで30%の効果を期待できる、と考えてしまう傾向にあるとは言えまいか。これはつまるところ、薬剤効果に程度の差はあれど、NNT=1と思考されていることに他ならない。(これは害、NNHにいてもいえるが……)

これが薬剤効果の正規分布的思考である。正規分布とは平均値の付近に集積するようなデータの分布を表した連続的な変数に関する確率分布である。

f:id:syuichiao:20170425172646p:plain

(図1)正規分布

実際には臨床試験結果が示す薬剤効果はあくまで点推定値であり、95%信頼区間法で、母集団の実効性が統計的に推定される。冒頭のプラバスタチンの例で言えば、50%も減るかもしれないし、9%しか減らないかもしれない、というように。ただ、50%も減るのが、いったい誰なのか、9%しか減らないのが一体誰なのかわかりようがないし、なんとなく正規分布を思い描くと、大方の人達が30%の恩恵を受けることができるのではないか、ともすれば、僕たち医療従者でさえ、そんな風に思う。

しかし、どうだろう。例えば、「平均年収」という記号に宿るイメージは何だろうか。日本人就労者の大方の人達がその年収前後の収入があると、そんな風に考えてしまう傾向はないだろうか。それこそが正規分布的思考である。

実は年収は身長や体重のように正規分布しない。極端に高額な年収を有する人たちが少なからず存在し、平均値はその外れ値に大きな影響を受けている。結論から言うと、年収はベキ分布(冪乗則)に従う。ロングテールと呼ばれる長い尾を引くのが特徴だ。

f:id:syuichiao:20170425172814p:plain

薬剤の恩恵というものもベキ分布的思考で考えてみるとどうなるか。いや、これはあくまで仮説にすぎないかもしれない。しかし検討する価値のある仮説ではないだろうか。

 

今僕は次のようなことを考えている。それは薬剤効果、特に慢性疾患に対する予防的薬剤の効果は、正規分布ではなく、ベキ分布に従うということだ。

例えば、スタチンのような心臓病のリスク(心血管死亡)が30%減ると言うような介入効果はどれだけ延命に寄与するのか見てみよう。ある研究によると、平均的な心血管リスクを有する50歳の男性に対して、心臓病リスクが30%減るような薬剤を投与すると、その獲得余命は7ヶ月程度と試算される。(Open Heart. 2016 Mar 11;3(1):e000343.PMID: 27042321

たった7ヶ月。それだけでしかない。しかし、これは実態を示した数値と言えるだろうか?

”たった7ヶ月、それだけでしかない”というのは薬剤効果を正規分布的枠組みで考えているからに他ならない。これがベキ分布に従うとしたらどうなるだろうか。

下の図を見てほしい。この7か月の獲得余命、その恩恵を受けることができる人の分布コンピューターでシミュレーションしたものだ。

f:id:syuichiao:20170425173006j:plain

 

 (平均的な心血管リスクを有する50歳男性の獲得余命Open Heart. 2016 Mar 11;3(1):e000343.PMID: 27042321より引用)

全体としては7か月の獲得余命であるが、実はこの集団の7%にあたる人たちは平均で99ヵ月の余命を獲得している。そして残りの93%は7か月どころか獲得余命は0ヵ月である。

薬剤効果は少なくとも正規分布していない。そこには明らかな不平等性が垣間見える。僕はこれを「薬剤効果の不平等性」と定義する。

 なお、本稿における数学的証明は僕の理解を超えている。理論的な厳密性についてはここでは重視しない。薬剤効果の不平等性はNNTという指標から受ける違和感を見事に説明している。それで十分だと思う。