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思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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科学的方法論と医療と

カール・ポパー 科学哲学

科学も哲学もクリエイティブな概念を生み出すが、科学だけが自然界を離れず、世界の仕組みを明らかにしていくように見える。科学は新しい概念を作り、そしてそれが自然現象をうまく説明するような、いわば正しいという仕方で存在する。なぜ新しいことと正しいことが同時的に成り立つような仕組みになっているのか。

それは科学的推論の方法にヒントが隠されているようだ。推論とは論証とほぼ同義であり、ある命題を前提として結論を導くロジックである。大きく演繹法帰納法の2つがある。

演繹法

新しいことを述べる推論方法ではない。しかし導かれる結論は前提が真であれば、全て真になるという真理保存性を有する。演繹法には3つのパターンがある

①モードゥス・ポネンス

AならばBである、という前提において、Aである。したがってBともいえる。

②モードゥス・トレンス

AならばBである、という前提において、Bでない。したがってAでもない。

③3段論法

全てのAはBである、という前提において、全てのBはCである。したがってAはCである。

帰納法

新しいことを仮説的に述べる。帰納法的推論を論理的に正当化することはできないし、経験的に正当化することもできない。裏付けは論理的な証明には匹敵しないからである。繰り返される確証がそれ以上のものを生み出すことは原理的にない。

①枚挙的帰納法

A1=p、A2=p、A3=p、A4=P…きっと全てのAはPである。

アブダクション

AはHと仮定するとすべてうまく説明できる。したがってAはHだろう。

③アナロジー

AはPである。AとBは非常に類似している。したがってBもPである

[仮説演繹法

演繹法帰納法を組み合わせたものが仮説演繹法である。なおこのプロセスは診断のロジックやEBMにおける臨床判断プロセス(ステップ④)と同じものであると筆者は考える。

まず帰納により仮説を立てる。その仮説から演繹により予想を導く。実験や観察に基づきその予想を検証、確証(時に反証)する。

例えば、臨床試験の結果から、仮説を立てる。その仮説から実際の医療介入の予後についての予想を導く、医療介入後の観察に基づき、予想の確証を行うというプロセスだ。しかし、この予想の確証のプロセスはやはり帰納法的プロセスになっている。仮説演繹法といえど、帰納の域を出ていないのではないか?

カール・ポパー反証主義

帰納法は決して「正しい」推論を行うことができない。科学が帰納法的推論に依拠しているのであれば、科学は原理的に真理を語ることはできない。しかし、帰納を使う事に合理的根拠がないということが、科学の非合理性につながるのは、科学が帰納に含まれているときに限る。仮説の確証は帰納であるが、仮説の反証は実は演繹である。

①確証…帰納的推論

「仮説Hが正しければPである。そして実験結果もPであった。だからHである」

②反証…演繹的推論

「仮説Hが正しければPである。そして実験結果はP出なかった。だからHではない」

仮説を立て、それを確証するのではなく、それを反証することで帰納ではなく演繹的補法論を採用することができる。反証可能性のより高い仮説ほどより質の高い仮説となる。そして仮説が間違えるという可能性を持つものが科学であるという、反証可能性を基軸とする科学的方法論をカール・ポパー(1902~1994)は提唱した。

[統計的仮説検定のロジック]

統計的仮説検定では、以下のようなロジックになっている。

・帰無仮説:AはBと同等である。

・対立仮説:AとBは同等ではない

有意水準という経験的な確率を用いて、得られた結果のP値が有意水準よりも小さければ帰無仮説を棄却すし、対立仮説を採用するという仕組みになっている。

AとBは同等ではないという仮説に対して、膨大な数の実例を示しても、たった一つの反証で否定されてしまうだろう。これは帰納法的推論に過ぎないわけだ。しかし、AとBは同等である、という事を否定するだけで、AとBは同等ではない、という結論が導けるのである。EBMは仮説演繹法だと述べたが、エビデンスの結果は演繹法的なロジックで統計的に検証されている点は興味深い。

パラダイムという概念]

全ての科学的命題は仮説であると考える。そして、様々な検証にさらされるなかで、反証されなければ、それはやがて精緻化されるか、反証されれば棄却されるこれは「Trial and error elimination」と呼ばれるものだ。

P1(problem)→TT(tentative theory)→EE(error elimination)→P2

科学を科学たらしめているのは、仮説の誤りをただす反証という手続きというわけである。「医薬品の副作用が起こる可能性がある」、というのはいわゆるトートロジーであり、誤りのない命題、すなわち反証可能性は0%である。カール・ポパーに言わせれば非科学的な言明の代表的なものだろう。繰り返すが、科学を科学たらしめているのは、反証可能性とそれを支える批判的方法である。

しかしながら、人は観察対象を一定の意味付けと共に観察する。観察という行為は理論的背景を前提として行われているのだ。これは観察の理論負荷性と呼ばれる。

従って、ある理論が観察事実により反証されるか否か、というポパー的な考え方にも観察の理論負荷性という問題が常につきまとう。では理論は一体何により反証されるのか。それは新たな理論にほかならない。ある理論が別の理論に打ち倒される事態をパラダイム転換ととらえたのがトマス・クーンである。

パラダイム転換の原因は検証や反証による論証手続きではなく、世界観の転換に類似した思想的出来事であり、そこには社会的要因、歴史的条件、心理的要素すら関わる複雑系である。