価値に基づく医療について
[EBMが受けてきた誤解とその背景]
何かを決断する。医療現場において、「決断」を抜きに医療を提供することはあり得ない。そこにはなにがしかの臨床判断が存在する。evidence-based medicine:EBMはエビデンスを踏まえたうえで、患者の想いや、患者を取り巻く環境、そして医療者自身の経験を統合することにより最終的な意思決定を行う方法論である。
EBMの方法論は①疑問の定式化、②問題についての情報収集、③得られた情報の批判的吟味、④情報の患者への適用、⑤一連の流れの評価という5つのステップにより明確に規定されている。ここではその詳細を述べることはしないが、EBMはとかく誤解を受けることも多い。例えば、ステップ2の情報収集や、ステップ3の情報の批判的吟味が重視された方法論という誤解を挙げることができるだろう。しかし、本来はエビデンスのみならず、患者の抱く「価値」そして医療者が有する経験知をも含めてEBMなのである。
確かに、エビデンス情報の検索手法やエビデンス情報の批判的吟味手法は詳細にわたり体系化され、ワークショップなどを通じて学ぶ機会も多い。近年ではEBMの手法を紹介した成書も充実してきており、また論文情報を活用するという事が日常業務においても徐々に浸透しつつあるように感じている。[1]
しかしながら実際にエビデンスの適用、つまりEBMのステップ4については、漠然とした概念のみが提示され、その実践は個別の状況にゆだねられている印象も強い。体系的な手順や思考プロセスがまとめられてないがゆえに、ともすると、患者の想いや環境、そして医療者自身の経験すらも置き去りにされることが多々あるのではないだろうか。
[価値に基づく医療(values-based practice:VBP)]
本邦ではEBMを補完するものという位置づけで紹介されている印象もある。
「価値観に基づく医療」は「根拠に基づく医療の発展系とも言われ、患者やその家族と医療者がもつ「価値」に力点を置いたものであるとも言われている。(尾藤 誠司. 医療の多様性と“価値に基づく医療” 日本内科学会雑誌Vol. 103 (2014) No. 11 p. 2829-2834)
この補完するとか、発展形という言葉もやや誤解を招きやすい印象がある。つまるところEBMとVBPは2元論的対立とはなり得ない。「価値に基づく診療」[2]の邦訳を読めば、それがよくわかるだろう。(訳文の問題か、EBMに関してやや誤解を招くような記載は多いのだが)本書にはいくつかのストーリーが紹介されているが、そこに登場する医師も看護師もあらゆる医療者が当たり前のようにエビデンス情報を活用している。[3]つまり基盤となっている意思決定プロセスにはEBMの方法論がごく当たり前に存在しているのだ。そのうえで、実際にエビデンスをどう適用すればよいのか、その状況において「価値」という概念が浮き彫りになっている。
われわれ日本人はEBMやNBMという概念を独自に開発したわけではない。体系化された概念をまさにパッケージとして輸入している。そこに新たにVBPという概念が紹介されると、それぞれ独立した概念のようにも思えるが、EBMを補完するという意味はEBMとVBPの2元論的対立を意味しない。
「価値に基づく診療」で展開されるストーリーはまさにEBMのステップ4に他ならない。つまりEBMを補完するとは医療全体の思考プロセスのうちにEBMという基盤があり、システマテックに体系化されていなかったステップ4を補完するという意味に他ならないと筆者は感じている。
[価値とは何か]
『VBPとは、ある意味、診療に影響を与える価値の範囲や種類を明確化し、それらの価値をより効果的にマネジメントすることである(価値に基づく診療p8)』
価値にはポジティブな価値(好み)とネガティブな価値(懸念)が存在する。価値には好みや懸念、期待が含まれ、それは“倫理以上に幅広い”という。そしてすべての意思決定はエビデンス(これは医療者の経験的なものを含む広い意味でのエビデンス)のみならず、そこに価値によって与えられるポジティブさ、ネガティブさの重みづけにより導かれるというわけだ。
『VBPの目的は、何が正しいのかという答えを出すというより、むしろ問題が起こった状況に対し、関係者それぞれの価値を共有したうえでバランスのとれた意思決定に向かうための道筋を示すことにある(価値に基づく診療p47)』
VBPはまさにEBMのステップ4を考えるうえで非常に重要な思考プロセスそのものといえよう。言うまでもないがエビデンスのみに依拠した判断は必ずしも正し判断ではない。
『臨床的に少なくとも言えることは、研究結果がどのようなものであれ、個人(臨床家も患者も)常に特異的である、という事である。したがって、特定の(常に価値に関して特異的な)個人の間に、どのような価値が機能しているかは研究では決してわからない(価値に基づく診療p86)』
『エビデンスは、その研究内容と同じような価値については判断の助けとなるが、目の前にいる実際の患者の価値にそれが適応できるかどうかは別問題であるという事だ(価値に基づく診療p142)』
『文献によるエビデンスを価値に基づく臨床上の意思決定に適用する場合は、他領域における臨床上の意思決定の場合よりも、次のようなことを十分に意識しておく必要がある。ある状況で意思決定を迫られているその個人は、文献上の平均値とは全く異なっている可能性があるのだ(価値に基づく診療p143)』
[ディスセンサスという概念]
時に医療者はネガティブな価値、つまり懸念に関心を向けやすい。
『医療専門職はネガティブな面に着目してしまう傾向がある。その理由は単純で、患者やクライアント大なり小なりの問題を抱えており、それを解決してもらうために、専門職としてのわれわれのもとにやってくるからである。(価値に基づく診療p116)』
医療者は時に患者のネガティブな価値は知っていたとしても、ポジティブな価値は知らないことが多い。人それぞれの考え、心配、期待はどれも価値と強く結びついているのだ。
『ある意思決定をおこなう状況において、誠実なパートナーシップには、誰かの価値が他の誰かの価値よりも有意に立つのではなく、関係者の価値のバランスのとれた状態でありつづけるようなディスセンサスに基づいたモデルを必要とする(価値に基づく診療p228)』
ディスセンサスとはコンセンサスと全く異なる概念である。わかりあうというようなコンセンサスは何か、マイノリティを抑圧するような、つまり多数派の意見に収束していくような意味合いが込められているが、ディスセンサスとはまさに分かり合えないことについてわかり合うという事に他ならない。価値の多様性を知ることで、どれか一つの価値に収束せずに、様々な価値を認めい、バランスのとれた意思決定を行っていくことがVBPの核心であろう。
[EBMのステップ4はどう体系化されたか]
最後にVBPの10のプロセスについてまとめておく。
■臨床スキルの4領域
①価値への気づき…省察により自己の価値への気づきを促すことの重要さ
②推論…事例分析を通して、他の事例へ行かせるような経験を積むこと
③知識…価値に関するエビデンス情報の収集
④コミュニケーション技法
■VBPにおける関係性
①当人中心の医療
②多職種チームワーク
■科学とVBP
①二本足の原則…エビデンスと同時に価値も重視せよ
②軋む車輪の原則…価値と同時にエビデンスも考慮せよ
価値観に基づく医療(values-based practice)の中心的なコンセプトは、すべての判断は事実と価値(観)の両方に基づくということである。EBM(Evidence-based medicine)とVBM (values-based medicine)は臨床意思決定において相互に補完的な役割を担う。これを'two-feet principle'「二本足の原理」と呼ぶ。
③科学主導の原則…隠された価値と隠されたエビデンスの両方に重点を置くこと
明確に意見が対立しているときに価値に気づくことは容易である。明らかな対立が無い場合においては、価値は共有されているものと思われる。価値に基づく医療では「軋む車輪の原則」と呼ばれるものがある。あらゆる人が合意を形成し、そこに批判的な意見が無い時、そのような状態はむしろ異常であり、そこには何らかの価値観の否定や支配が行われている可能性があるということに注意したい。
■パートナーシップ
ディスセンサス…個々の価値に基づいたうえで、お互い同意できないことについて合意すること
[脚注]
[1] とはいえ、まだまだEBMが普及しているとは言い難いが…
[2]大西弘高 (翻訳), 尾藤誠司 (翻訳).価値に基づく診療 VBP実践のための10のプロセス.メディカルサイエンスインターナショナル
[3] 患者ですらも。エビデンスが当たり前に利用できる環境は日本と全く異なると言える。
[参考文献]
Modern Physician 2016年No.5 価値に基づく医療-患者にとって最善の選択を目指して-