思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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「世界は存在しない」とはどういうことか?-マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』

 若きドイツの哲学者、マルクス・ガブリエルの著書、『なぜ世界は存在しないのか』を読みました。発売された当初から読もうと思っていたのですが、なんとなく流行に乗るのもはばかられ、そのまま1年近くが過ぎていました。

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

 薬の効果がある人には実感できて、ある人には実感できない。薬剤師として仕事をしていれば、少なからず、そう言った状況に遭遇することはあるでしょう。このことはまた、同じ料理を食べていても、ある人はおいしいと感じ、ある人はおいしくないと感じることに似ています。もちろん、映画のオモシロさに例えても良いと思います。

 このような感じ方、印象の差異は、僕たちの日常にありふれています。それは「価値観の違い」と形容されることもあれば、「認識の相違」なんて言われることもありますけれど、とりわけ「美醜」に関するテーマ、「善悪」に関するテーマ、「正しさを巡る議論」などにおいて顕在化してくる問題と言えましょう。

 いわゆるポストモダン以降、僕たちは、絶対的な価値など存在しないという相対主義の影響を常に受け続けています。ぼくらそれぞれに、それぞれ個別の世界があると考えることは、「多様性を重視せよ」という価値観の元にむしろ擁護される時代です。

 ガブリエルはこうした認識の相違(相対主義)を否定するのではなく、むしろ徹底化していきます。それぞれの世界がある、というのは単に認識の違いや価値観の違いなどではなくて、それは全て実在すると。ゆえにただ唯一のメタ的な世界は存在しないというわけです。

 なんとなく言葉遊び感も否めないのですが、世界が実在のすべてを包括する最大集合を意味するのであれば、実在的視点は実際には無数に存在するので、そのような包括は不可能である、ということなのでしょう。

  例えば、1+3=4、2+2=4、3+1=4なんて足し算を考えてみる。この場合、『4』の表現の仕方は無限にあるのだけれど、その仕方を『解釈』と呼べるのだとすれば、表現の解釈も無限だということがよく分かるかと思います。実在視点の無限性はこのように捉えることができるでしょう。

 この『4』を現象として考えてみれば、一つの現象について、その説明の仕方も無限であるというわけです。詰まるところ、物理法則だって現象の説明の仕方の一つにすぎません。

『わたしたちに認識できるのは、無限なものの断片でしかありません。全体を見渡すことはできません。全体など存在しないからです (なぜ世界は存在しないのかp122)』

 ガブリエルは、存在するとは何らかの意味の場のなかに現れること、というテーゼを掲げ、「自然科学こそが、実在に唯一アクセス可能な営みだ」という立場を徹底的に批判していきます。

『世界像、およそ現実の全体、あるいはリアリティそれ自体に取り組むとなると、わたしたちはたいてい、自らの日常的な経験から大きく離れてしまいます。こうしてわたしたちがあまりにも易々と見過ごしてしまうものを、ハイデガーは「飛び越え」と呼んでいました(なぜ世界は存在しないのかp136)』

『わたしたちの日常言語は不十分なもので、わたしたちの体験することを本当にとらえることはできません。それだけに、ライナー・マリア・リルケのような詩人たちのほうが優れた現象学者ー現象を救うものーであると、はっきり示されることがあります(なぜ世界は存在しないのか p140)』

『人間の心のスペクトルは、いわゆる感情よりもずっと豊かなものです。深い自己不信にせよ、固い自己確信にせよ、たんに怒りや喜びなどの感情に尽きるものではなく、精神の表現にほかなりません(なぜ世界は存在しないのか p233)』

 歴史全体に意味を吹き込もうとする試み、そういう観点からすれば、科学も文学も同じようなところを目指してきたわけです。両者はカテゴリの違いではなく、程度の問題なのかもしれません。