思想的、疫学的、医療について

医療×哲学 常識に依拠せず多面的な視点からとらえ直す薬剤師の医療

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【薬局 2018年 4月号 特集】 「所得格差時代の薬物治療 ―“経済的負担を軽減したい"患者の訴えにいかに応えるか―」

 格差貧困は、意識なくして混同されがちな言葉かもしれませんけど、道徳的な観点からいえば、両者は別物だと言えます。格差は不平等状態を具現化したものであり、そこには必ずしも道徳的な問題を孕んでいないケースもあります。他方で、貧困とは “不十分な生活” を示唆し、時に道徳的な配慮が重要になることがあります。

 この場合の「道徳」という言葉がどんな意味合いをもつのかについてはひとまず置いておいても、「格差の是正」なのか、「貧困の救済」なのか、という視点で考えてみれば、両者の違いがおぼろげに見えてくることでしょう。実際には格差が問題になることも多いのですが、格差の拡大が問題というよりも、貧困やその一歩手前の層の増大に視点を向けるべきなのかもしれません。

  ところで貧困と言っても大きく2種類あります。それは絶対的貧困」と相対的貧困です。特に日本を含めた先進国で問題となるような貧困は、後者の「相対的貧困」と言えましょう。

  各国の全世代の相対的貧困率と国別順位を見てみると、日本は12位にランクインしています。[1] 他国と比べると日本には貧困層はあまりいないと思っている人も多いかもしれませんが、全くそんなことはないのです。

  貧困というと経済的なものを思い浮かべがちですが、貧困は必ずしも低所得状態を指す言葉ではありません。歌人の鳥居さんが、ツイッターでつぶやかれていた言葉がとても印象的でした。

 

“たいした学歴も、育ちも、肩書きもない 私たちは命の価値を低く見られていて、このことを、たぶん『貧困』って呼ぶ。”  @torii0515 [2018年3月10日]

 

 程度の差はあっても、貧困は現代社会の至る所で、散見されるものであり、決して珍しいものではありません。そしてそのことに気づかない人たちが大多数いる社会だからこそ、相対的貧困が目立たない仕方で拡大しているのだと思います。大事なのは、『貧困』というのが、この社会にとって潜在性を帯びた形で常に存在していると言うこと。そこから目を背けたり、正義のようなものを振りかざすことは、むしろ何がしかの差別や格差を助長していると言うこと。

  そんな状況の中で、医療は、あるいは薬物療法はどうあるべきなのでしょうか。南山堂『薬局』の4月号「所得格差時代の薬物治療」は、とても興味深いテーマでした。

薬局 2018年 4月号 特集 「所得格差時代の薬物治療 ―“経済的負担を軽減したい"患者の訴えにいかに応えるか―」 [雑誌]

 医療コストを安く済ませるということを考えた場合、究極的には治療をしないという選択肢が垣間見えてきます。しかし、そうした選択をすることが、命の価値を軽んじていないだろうか、よくよく考える必要があります。他方で、ポリファーマシーなど、過剰医療もまた社会問題として関心を集めており、事態は僕らが思う以上に複雑です。

  治療をしないリスク、それをどこまで引き受けるのか。あるいは治療したとしても一定のリスクが存在する中で、医療どれくらいの価値を見出すのかということ。貧困、格差、医療をめぐる様々な問題についてあらためて考えたいと思います。

 

[1] https://www.globalnote.jp/post-10510.html